ベルリンからの生中継を観た。いつものようにメルケル元首相夫妻などブロックAに有名人が居並んだ。その前にペトレンコのブレーンのクラスティングが座った。氏の解説はプログラムよりは一歩踏み込んでいた。より強調されていたのは、作曲家レーガ―のワキングホッカーぶりでその背後には音楽家庭ではない出身とかの環境があって、とにかく時間を惜しんで作曲に勤しんだということのようだ。そうした態度がその筆致に表れていると思う。

その様なことで楽団がどの声部も合わせることに留意してまだまだ自由な音楽を奏でるには至ってはいなかった。しかし、それだけに決して容易ではなく、少なくともツアーに出て三回演奏して、そして11月に繰り返される。どうしてこのプログラムが二つのツアーに掛かるかというとそれは繰り返せば繰り返す程成果が出てくる楽曲であるということだからである。何故レーガ―曲がフルトヴェングラ―指揮による演奏以降ベームなど限られた限られた客演指揮者によってのみ演奏されていたという理由である。

それは復活祭で既に二回の試奏を行った「英雄の生涯」に至っては、放送でも明らかに鳴りは変わっていて、その透明性は未だ嘗てなかった水準に達していた。これほどまでに総譜の各システムが聴き取れる演奏などは存在しない。それは今回の練習中にも話題になっていた様であり、如何に正しく音化すればそのように鳴る総譜だということが知れた。そして、ベルリンの放送局が語るようにヴァイオリン協奏曲だとされるコンツェルトマイスタリンが遙かに良くなっていた。

弦楽陣を率いる堂々とした姿勢や観て観られる引率をとても考えていたようで見事であった。なによりもフランコベルギー派とみられるそのヴァイオリンの響きが打って違って鳴る様になっていたので、楽器が変わったのかと思った。プロフィールには、借与されているストラディヴァリウスの1683年の名器を使っていたようだが、遙かによくなったその理由はよく分からない。弓も奏法にもあったのかもしれない。

兎に角、音が柔らく弾けて、ベルリナーフィルハーモニカーの鋼一点張りの特徴に更なる可能性が生じる。そうした柔軟性は復活祭でのソロの語り以上に表現の幅が大きくなっていて、同じ流派のカラヤンのコンツェルトマイスターのシュヴァルベを思い起こさせた。技術的にはこのサレイカ・フォルクナーの方が上手かもしれない。大きな賞賛が投げかけられている。

放送での批評にもあったようにシーズン初日はその後のツアーの為の本番練習でしかなく未だ目覚めていない感じがあったとされていたが、この「英雄の生涯」も更によくなっていくだろう。

いずれにしても八回も九回もこれを演奏するときには前半後半共に未だ嘗てない大管弦楽団のアンサムブルとなっている筈だ。昨年のマーラー七番でニューヨーク、シカゴなどで大きな影響を与えたと思われるベルリナーフィルハーモニカーの公演、11月には東京でパラダイムシフトに相当する影響を与えると思われる。まさしくペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの知られざるその芸術的価値が極東でもはじめて明らかになる。



参照:
初日へと期待が膨らむ 2023-08-26 | 女
見事なシカゴの音楽会批評 2022-11-20 | マスメディア批評