NHK深夜の番組で復活祭「影のない女」が放映された。想定外の演出への反応があった様子である。既に四月における各紙の反応などには言及しており、その演出への評価は保留されている傾向もあった。

なぜそのようにしか評価できなかったかは明らかで、仕手役においた無言の少女役の扱いに閉口していたからで、そこで適当な解釈を書き加えることで、演出自体への評価を難しくしていた傾向が甚だしかった。

しかしTVで観た感想は、それ以前に面白く、よく分かったというような反応が多かった。これはまさしくこのリディア・シュタイヤーが人気と共に評価されている面であって、それ自体には誰も非難のつけようがない。

彼女が初日前に我々に語ったことでも、如何に複雑で深遠な内容であってもそれを如何に聴衆に投げかけるかという触媒のような仕事をしているということで、その通りの結果となっている。

そこで彼女がオーストリアから合衆国に追われたユダヤ人家庭の娘であったので、そうした触媒機能として「ハリウッドなどに影響を受けたエンタメ要素を当然の如く使う」という本人の弁があった。

そこで彼女の出世作として経歴の最も上に書かれ続けるバーゼルでのシュトックハウゼン作「光」から「木曜日」を少し観た。少しというのは全体の一部でしかない「木曜日」自体が四部構成になっていて、その一部は導入でジャズバンド風に軽く演奏されショーピースとなっているのだが、二部は当時のバイエルン放送協会の批評にある様に、完成後三十年目にして初めての舞台上演そのもの舞台でしっかりと演じられている。

そのヴィデオはダウンロードしてから大分経つのだが、通して観ていなかった。一つには音質があまり良くなくて集中できなかったからで、漸く一幕の「ミヒャエル、青年期」だけは通した。演出に馴染みが出来たのでその流れから観通せた。

しかし反対に今迄は、大抵そこで指揮者と呼ばれる人が何をやっているかが分からずに来て、そして2019年になって初めてエンゲルがペトレンコと並び称されるようになったのだ。

私自身も暫くコンタクトがなかったのでその間の仕事の変化や構築がよく分からなかった。しかしここ二年程追っかけてみて、エンゲルのやっていることは、嘗ては楽師長が作曲など全てをやっていて、そして大作曲家が自作初演を振って、そして専門の指揮者が現れた。そして、カラヤンのようなメディアプロデューサを兼ねて、ペトレンコの様に音楽祭で自らのオペラ上演の為に芸術監督をするようになった。しかしエンゲルの場合は、その作曲へと演出家と一緒になって踏み込む。それが場合によって解釈を変えるというまでの大胆な発言となっている。要するに今世紀なって現れた新しいタイプの指揮者であるということだ。少なくとも音楽劇場作品においては第一人者として総合プロデューサー的な仕事を音楽から為している。ティテュス・エンゲルが今世紀前半を代表する指揮者だと言い切れるようになったのはそれが漸く分かったからである。



参照:
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
朝から晩までの一日 2023-04-03 | 文化一般