ベルリナーフィルハーモニカー米国ツアーのボストン公演は一つのプログラムが演奏された。有名紙ボストングローブが批評を載せている。ここでは裏のプログラムの公演であった。

日曜日に開かれたようだが、灼熱の演奏が終わってからも天井が振動していたと書いている。要するに彼の有名なボストンのシムフォニーホールでは通常ではない音響が響いていたのだろう。折からホール主の交響楽団の日本公演でのヴィデオがサントリーホール等から出ているが、端からお話しにならない。指揮者だけでなくて楽団もここまで水準が下がると後任も大変である。それ以上にそんなヴィデオもSNSに流してしまう楽団のスタッフもとても程度が悪いようだ。

新聞は、それ以前に音符を一つ演奏する前から、そのプログラミング自体に感心して、本物の芸術や歴史的な声明を語っていたと書いている。

つまり、ツアーに訪れる楽団がプログラミング時に商業性を考えなければいけない圧力を受けるのだが、アメリカの大編成の新曲に続いてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲一番とそれをスタープレイヤーではなくて楽団のコンサートマスターに演奏させるという売れないプログラミングを提供。そしてスターシステムの産業に対抗する姿勢と同時に楽団自らのエッセンスを示すということになった。このことがこのツアーの核心ではないのか?と提議する。

勿論この記者の脳裏には、アンドリス・ネルソンズの産業構造の中でずぶずぶにブクブクとなった醜態が浮かび、それを頭に据えた交響楽団への婉曲的な批判が込められている。音楽ジャーナリストはチクリが仕事ではないから、読者に問題提議出来ればそれ以上のことはない。

そしてどうだろう、この芸術的なプログラムで、このシーズンで知る限り最も入っていて、殆ど売り切れに近かったと書く。それはベルリナーという名声からかもしれないが、同時にそれだけ高価であり抵抗もある。そのコンサートは、上手に演奏するというのを示すだけでなくて、「何故」をデモンストレーションした。そこには小さな声明が、しかし主となる決して見落とす事のない声明として反映されていたと読者の関心を契機。

そしてベルリナーは正統的に作品を紹介した。明晰に暖かく且つセンシビティにモーツァルトが奏でられた後にグレズマ―のアンコールで以て、20世紀の歴史がつまりドイツの永きに亘っての文化的な償いが新たな局面に至ったことをに明白に示したとしている。それは初のユダヤ人指揮者を戴き、そのペトレンコ自体はそのことを囃し立てたりはしないのだが、脇に置いてはいない。それが米国に逃げたユダヤ人作曲家コルンゴールトを後半に取り上げた意味だと読み取っている。ネットでの会見で、ペトレンコは、舞台の上で全ては語られるべきという立場に再び言及した様である。

そのペトレンコの作品への気持ちは情熱的なパッセージだけでなくその指揮が示す誠実さに表れていたとしている。そして楽団の各セクションはこの燃えるような演奏に寄与して、その演奏の背後に作品に奉仕した天才的な感性の存在は見失うことないものだった。ベルリナーはその表現力豊かな行使を隠すことなく、しかしそれを見せびらかすこともない。それが全てである、「その様」に、と結んでいる。



参照:
Berlin Philharmonic returns to Boston with new chief conductor, Jeremy Eichler, The Boston Globe on November 14, 2022
暗黒の歴史を払拭へ 2022-11-15 | マスメディア批評
そこから学べる音楽会 2022-11-11 | 文化一般