大成功のベルリナーフィルハーモニカー米国ツアーからボストンでの一夜の演奏会評が出た。カーネーギーホールの二夜目に続くコルンゴールトの嬰へ交響曲をフィナーレとする裏プログラムの公演である。

先ず何よりも第二曲目のモーツァルトの協奏曲が終わった時点でスタンディングオヴェーションが起こったというのだ。珍しいことで、更にソロストのベネディクスバルグレーがイ―デッシュのクレズマー音楽をアンコールで弾いたことも珍しいと書いている。

このアンコールの意味を祝祷としたのはニューヨークタイムズで、ナチ時代の帝国管弦楽団とされたフィルハーモニカーの黒歴史を払拭すべく、こうして初めてのユダヤ人指揮者が率いて、コルンゴールトと同じように1930年代に父親がナチから逃れたコンサートマスターがソロを演奏して、ユダヤ人作曲家二人の曲を演奏した意味を伝える。

このコルンゴールトに関してはオーストリアとアメリカの音楽が、そして一曲目にはアメリカ人作曲家の曲が組み合わされて、またも一つの座標軸が開かれている。しかし、マーラーの交響曲への視座こそが、ユダヤ人ホロコーストを受けたそのアイデンディティーからバーンスタインによるルネッサンスの影響を如何に払拭するかがペトレンコの使命でもあったろう。

カラヤン時代にはナチとして米国では抗議運動が起こっていたのだが、こうして水曜日には今度はそのフルトヴェングラーの就任がトーマス・マンらの反対運動で為されなかったシカゴで今度は第七交響曲の演奏で為される。

ボストンではコルンゴールトの曲がメインで演奏されるとして懐疑もあったようなのだが、結果的には最後の音が終わるや否やのスタンディングオヴェーションとなったようで、張り詰めた期待に膨らむ会場の雰囲気で始まった演奏会が終わったとされる。その長く強い拍手が常連さんの大きな期待を満たすばかりか、新たな地平線へと導き、深く内省させた催し物だったとしている。

無二のベルリナーフィルハーモニカーのその力強い試みで、それは大きな音での総奏であっても、その聴者への効果があまりにも巨大である時もとしていて、それは平素聴き慣れている少なくとも大きな音だけは出せる指揮者の地元の交響楽団とは比較にならないことを案に告白している。コロナ禍で聴き逃したが、もし比較対象となるならばニュヨークフィルハーモニックしかない筈で、歴史的にはショルティ―指揮のシカゴ交響楽団しか存在しない筈である。ここに書かれているように、しかしである、その個々のアンサムブルの在り方が新たな地平線なのであった。同行者が驚いていたようなスパースターやデジタルコンサートホールでお馴染みの面々が吹いていたことが肝心なのではないのだ。有名無名問わずにどの様にアンサムブルしているかの問題である。

勿論の事、より複雑なマーラーの交響曲七番にて、シカゴでそして近隣のミシガンにてそれがどのように批評されるか。週後半のお楽しみとなる。



参照:
Berliners and Petrenko Exceed Lofty Expectations, Joel Cohen, Boston Musical Intelligencer on Nov.14, 2022
ニューヨークタイムスの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
そこから学べる音楽会 2022-11-11 | 文化一般