2月16日の連邦政府と各州の討議で3月20日のフリーダムデイ迄の工程表が決まった。各州議会の承認を受けての当面の緩和と、3月4日からの第二段階の緩和などの細部はその枠組みの中で決まる。個人的に関心のあった劇場等は、医療切迫がない限り3月4日を以て2Gに移行するが最低の線として担保されたのが大きい。ブースターを打っていなくてもテストが要らなくなる。必要ならば予定の二三日前にブースターを打つかどうか考えていたが、更に時間稼ぎが可能になりそうだ。二本接種の有効期限が270日までと変わらないので、まだ余裕がある。出来るだけ遅らせる方がその価値がある。

一週間ぶりに買い物に出かけた。足の具合が大分よくなった。しかし平素の靴は足がむくれていて履けなかった。そこで以前の靴に足を入れてみた。紐を解いて靴ベラを使うと入った。痛くはないので、それで出かけた。車を降りて歩く時も問題はなかった。帰宅する事には大分気にならなくなっていたが、それでも一週間前の違和感とは違って腫れている。但し基本は同じだ。違和感を取るために走って駄目になったのだった。

少し足を使ったので就寝時に痛みが出るかもしれないが、様子を見てみよう。腫れ自体も引いてきたように感じるので、全体としては好転してきている様である。

火曜日のヴィーンの楽友協会での演奏会評がよかった。デアスタンダード紙に後半のスークの「円熟」に関してとても気の利いた書き方をしている。

このレトロな交響詩は、ハプスブルク治世の殆ど崩壊時に初演されて、鳴り響くユーゲントシュティルだと書く、それは堂々としてしかし同時にエレガントで、ピカピカしていてもインティームに最後の細部まで美しく形作られていると。ペトレンコは2006年にこの曲をコーミッシェオパーで録音していた、そして五十歳になって、スークの理念を立派な見識を以て体現したと書く。それもしばしば節約された動きで笑みで以て楽団を率いたと絶賛している。

これに関してヴィーナー新聞は、ベルリナーフィルハーモニカーの200%の力演でと書いていて、少なくとも昨夏ルツェルンで同じスークの「夏のメルヘン」を体験した経験からすれば痛いほどよく分かる表現である。CDボックス化されるこれらのスークの一連の大管弦楽曲が今後どのように演奏され受け入れられて行くかは分からないが、大交響楽団の後期ロマン派のレパートリーとして、ある意味マーラーなんかよりも欧州的な文化軸の中で明白に位置づけられる可能性もないとは言えない。

キリル・ぺトレンコが女声合唱迄をも要するこの曲を態々ヴィーンにまで持って行ったかの理由はそこにある。上の新聞ではスークがヴァイオリニストとしてブラームスを体験していた繋がりとかもあるプログラミングとしているのだが、ヴィーンの大管弦楽団がこの曲を立派に演奏できるようでなければいけないという教育的な意味合いもあったのだろう。如何にも教育者らしい態度である。

するとチェコのスークと同じユダヤ系のハンガリー人であるシフが協奏曲を弾いた意味もそこに繋がる。こちらの方はシーズンの楽友協会のレジデンス音楽家であっても散々な演奏で、当然のことながら極評によって迎え入れられた。



参照:
Klingender Jugendstil: Kirill Petrenko im Wiener Musikverein, Stefan Ender, DerStandard vom 16.2.2022
Die Klangfarbe als Attraktion, WienerZeitung vom 16.2.2022
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