(承前)新制作「マスケラーデ」休憩後の三幕。最初のアクセントのつけられた弱起の二拍子が頭からくるというのが、これまた二幕における夜警の歌とかに対象化されていて、喜歌劇的でありながら、同時に仮面舞踏会へと開くとても良い構成になっている。

中々いいスイング感を引き出すのはそれ程容易ではない。これで千秋楽のフィナーレへの流れは決まった。テムポ設定とリズム打ちは指揮者の基礎的なお仕事だと思うが、それがなかなか上手に出来る人も少ない。因果な商売である。

更に演奏するのは毎晩のように奈落で仕事をしている座付き楽団となれば、比較もしようがないがベルリナーフィルハーモニカーが発止発止と合わせてくるのとはわけが違う。上手下手の問題ではなくて職業が異なる。その中でカメラが入っているとはいいながら、あれだけ演奏させていた指揮者の実力は確認した。なるほど劇場でも上手くやっているのはこういうところだと思った。

しかし同時に気が付いたのは少なくとも背後から観ていると舞台への指示は最小限にしかない。前科の初日の時は舞台の壁の鏡の反射が映っていたので前からも観れたので、それは意外にあったような気がするのだ。いずれにしても劇場で専属的に振っていた指揮者とは異なるというのも事実だろう。

そして今回は音楽のベースを以前よりも整えていて、とても交通整理がよくて、三幕フィナーレへの運びが見事だった。それによって舞台枠外へと出てきて観客に語り掛ける狂言回しのへンリックがとても活きた。恐らく天井桟敷にはさくらが入ってフィナーレに拍手をしていたのだが、初日から演出を弄ったのかどうかもう一つ記憶に定かではない。

スポットライトを当てて枠外とすることでも演出の意図が強化される。その他には、父親と母親の比重が初日はより大きかったのだが、抑えるような上演になっていた。印象としてはどうしても保守的な頑固おやじとスカンディナビアの新教的な教義とその反発へとの狭義化を避けて、更に全体的なアンバランスを生じさせていたのが改善されていた。音楽的な運びを考えれば尤もである。

その他の踊りの鶏のダンスなども順調で、初日評で批判とも賞賛ともどちらとも取れない指摘に対しての回答がなされていたと思う。回数を重ねれば収まる所に収まるという事なのだろう。

11月中旬にミュンヘンの年末年始のレハールのオペレッタの指揮者が病欠でティテュス・エンゲルに交代してることに気が付いた。出し物が出しものなので態々とは思ったのだが、レハールと同時代のシリアスな作曲家の曲などがそこに挿入されるマルタ―ラー演出の新制作だと知ったので興味を持った。事実上半年繰り上げてのミュンヘンでのデビューとなる。

折からの入場制限などもあって、無観客も噂される中でどうなるか分からないが、出来れば観に行きたいという気持ちになってきた。全く劇場界の便利屋さんとは甚だ遠い音楽家ではあるのだが、メインストリーミングのキャリアの世界とは異なる所でいい仕事で魅せてもらいたい。



参照:
長短調システムの精妙さ 2021-10-30 | 音
月の明かりを求めて 2021-10-08 | 文化一般