金曜日のベルリンからの中継は秀逸だった。同地の放送交響楽団が音楽監督ウラディミール・ユロウスキーの父親ミヒャエルを招いての無観客演奏会ライヴだった。注目していたのは親父の指揮よりも共演するピアニストのアンナ・ヴィニツカヤで、今夏ルツェルンで聴く予定になっている。ベルリナーフィルハーモニカーのオープニングツアーに帯同するからで、同プログラムは既に一月に無観客で演奏されていて、その時は人気ピアニストのトリフォノフが受け持っていた。

今回はそのプロコフィエフの一番ではなくて、ショスタコーヴィッチの一番に続けて二番を演奏するというものだった。親父さんの賞賛を聞くまでもなく、楽曲への理解度が高いことは、一昨年に放送されたワンのピアノにシャニが伴奏したものとは数段階違い、納得である。

インタヴューでドイツ語で受け応えしていたのも驚いたが、なんでもなしにフィルハーモニカーが帯同させていないのは明らかだった。

また親父さんの指揮もとても分かり易い。それはインタヴューでも明らかで、言葉足らずのドイツ語乍様々な情報が与えられた。先ずは一曲目に指揮したプロコフィエフとの一度限りの出会いで、七歳の時にモスクワの作曲家の家で寝ていて、夜分遅くその訪ねてきた不機嫌な声で起こされて、二間しかない部屋で「子供は寝ているのか」と、作曲家の父親ウラディミールは「セルゲイセルゲイイッチプロコエフだ」と跳び起きた子供に紹介して、更に「何を作曲したのか知っているか?」と質したので、ミヒャエルは「勿論、ペーターと狼」と答えたというのだ。SPレコードを穴が開くほど聴いたという。

そして暫く経って、スターリンの死の日に、ウラディミールが涙を流して「プロコフィエフが死んだ」とミヒャエルに語ったという。そこから続いて、レニングラードの共産党から逃れて来て、モスクワの作曲家の家に移り住んだ父親よりも年下のショスタコーヴィッチとの毎晩のように家族通しの付き合いをした繋がりについて語り始める。勿論ショスタコーヴィッチの方がユルウスキー家をよく知っていて、ウラディミール作曲のバレー曲についても好評しているというものだ。

こうしたエピソードの数々が、楽団に招聘してくれた息子のウラディミールの為にもなることは重々承知で語っているのだろう。そして番組後半には今度は昨年収録されたプロコフィエフの音楽と息子ウラディミールのお話しが炸裂して行くのだった。一体二人で合わせたどれほどの放送時間を喋り尽くしたのか。(続く

日の出が7時14分だった。その時刻にはパンを買っていた。肌寒かったこともあって、入るのを待っていただけで列の後ろにつくことは無かった。森の駐車場もあとから車が来ただけで他は誰もいなかった。明るくなってもやはり人の動きは遅い。裸になって走ると手袋が欲しくなったが、ゆったりと峠まで上がり26分ほど時間が掛かっていた。ショーツになっても楽をしているだけでちっとも早くなっていない。矢張り新たなスポーツウォッチが欲しい。肉屋にも8時半ぐらいに入ったが、四旬節もあってか一人しか客がいなかった。並ばずに済んでよかった。



参照:
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
雪辱を果たす様な気持ち 2019-09-20 | 女