日曜日に中継されるオペラ「アグリピーナ」初日の評判がとても良い。フランクフルターアルゲマイネも絶賛している。ペトレンコ体制でここまで話題になったオパーフェスト二つ目の新制作はなかった。最初の三年間はペトレンコがバイロイト音楽祭に出演して夏場に新制作を振らなかったこともあるが、今回は演出音楽共に新制作「サロメ」の陰には隠れていない。

初日の報告で流れた僅か二三秒の音で判断しただけであるが、管弦楽も驚くほど巧い。指揮者のボルトンも古楽の専門家として有名であり、スペインでも活躍していて、手元のCDでセイントジェムスバロック管弦楽団等を振っているのを聞いてもそこまでとは思っていなかった。

新聞によると多くのヘンデルファンは、以前のペーターヨーナス時代の派手な演出を期待していて、内面的な情感をバリーコスキーがスペクタクルに演出すると期待していたのではないかと書いている。結果は全く異なって、24歳の才能満ち溢れる作曲家が創作したコーミックの音楽を徹底的に演出したとある。典型がダカーポアリアであって、一回目とその繰り返しに大きな意味を齎した。またアリス・クート演じるアグリピーナが登場する仕草に、若しくはファッジョーリの演じる息子のネロの目の動かし方、手振り身振り、表情の練習が何回繰り返されたことだろうかと書いている。

勿論歌手は全員賞賛されている。そしてそれを支える通奏低音と弓を持ち替えた座付管弦楽団が歌の表現を準備する。三時間半に亘って一時も弛緩する事の無く、ヴェルベットと絹に衣文と暖かい輝きのある音楽がイヴォ―ル・ボルトンの指揮で繰り広げられるとなる。

断片を聞いて、この批評を読むと、やはりこれは音楽監督キリル・ペトレンコの仕事ぶりが実を結んだものだと思う。もともと、ヘンデルフェストのカールスルーへなどとは楽団の程度が全く違うが、それでもドレスデンの音色やベルリンの巧さには追い付かなかった。しかし、こうした古楽の弓に持ち替えての演奏を先日のフランクフルトの座付楽団などとは全く次元の違うところでこなす楽団を見ると、日頃の鍛錬が実ったとしか思われない。チェロやヴィオラ陣などでもペトレンコ指揮では本当に真剣に音楽をしているからだ。

バイロイト祝祭初日演奏について一言。演出に関してはよく観ていないので雰囲気しか分からない。しかし中継の響きは美しかった。あの音響ならば再びペトレンコに振って貰いたいと思わせる。カタリーナ・ヴァークナーがバイエルンの勲章をもらったところでなんだが、慰労賞として早めに受け渡して貰いたい。今年はメルケルらも来る予定があったので極力スキャンダルを避けて、機嫌の良い記者会見としたが、地雷は隠されていた。それはデビューのゲルギーエフの練習を二回もサボった情報を面白おかしく説明したことだ。中々精妙な印象操作だったと思う。そもそも時間も無く飛び回っている指揮者に所定通りの練習を約束しての契約だったのだろうが、それすらも使わなかったことで、肝心の初代音楽監督の手取足取りのご指導が儘ならなかった。もしかするとそれを避けて出かけなかったことさえあり得る。

そうなると最早この「標準よりは上のオペラ指揮者」とBRに生中継された指揮者を手懐けることもならず、印象操作で如何に駄目かという方へと評価を推し進めた。確かにあのリズム取りや「ペトレンコなら百倍の巧さの指揮」の職人的技能まで指摘されることとなった。これも歌手の視線を見ていると「おかしな爪楊枝での指揮」の問題点も明らかだった。

しかしそれでもインタヴューで話していた「バイロイトの音響が楽音を歌声にする」という言及のままに、合奏が乱れてアマルガウになる反面、綺麗な音も出しており、初代音楽監督のバランスでは聞けない美しさがあった。なるほど最近この奈落で振っている指揮者の中ではやはり才能は有るのだろうが、どうしてあんなと思わせる指揮をして、練習をしないことで、細部を磨く指揮からそれを言い訳として逃れている。

まさしく彼が思い描いていたのはインタヴューにもあったクナッパーツブッシュの指揮のような練習をしないことでの緊張感みたいなものだったのかもしれない。今時そうした所で自分の実力を誇示しようとする姿勢は珍しい。それだけ中々上手くやっているなと言うところも少なくは無かった。



参照:
見かけとその裏 2019-06-19 | 音
欧州のユダヤ人感への評価 2019-07-08 | 歴史・時事