デジタルコンサートを生で流した。欲張って二つのPC若しくは二種類のIPで流していると片方が遮断される。肝心の一曲目のシェーンベルクは中断してしまった。説明書きをもう一度確認するが、もし断り書きが無ければ抗議したい。一軒で二か所で流すことぐらいは通常の使い方である。数日内にアーカイヴにアップすると出ていたので期待しよう。少なくとも来週のゲルハーハーが欠場したヨハネまではこのまま一週間券で見れるようだ。

それでも概ねは分かった。初日と比べると特に独奏の積極性が高まった。あのキャラクターでもあれで結構初日は堅くなっていたのだろう。大分こなれて自由でメリハリの効いた歌い口が出てきた。それゆえにか管弦楽も雄弁に語りだしたが、一方精度が落ちていた。この辺りはあと四晩の公演で改良されていくだろう。やはり演奏者も慣れが必要だ。

チャイコフスキーの方は、先ずペトレンコのインタヴューがあったのでそちらが気になった。ロシア語を話す楽員のインタヴューのようで、いつも以上にロシア語感覚で話しが進んでいて幾らか難解な話しぶりだった。要するに一番振っているチァイコフスキーの交響曲だけにとてもルーティンと戦うのが難しく、細かな作曲家の指示に従って様々試しているうちに全く異なる曲になり、落ち着いて家で確認するとその通りに書かれていると気が付く。そしてさらに練習を積むといつの間にかルーティンになると、更に細かなところを直していく循環が準備らしい。それでも練習時間ではそれ以上は汲みつくせなく、実演において初めて、インスプレーションからの技術克服を前提に、情感的な内容表現へと導かれていくというから、この辺りは正しくロシア人の思考そのものだ。美学的に解釈すれば、ルーティンを避けるというまさしくシェーンベルクの12音楽法のような精査と、そして再現芸術における一期一会の芸術的創造となるのだろう。

その点から考えると初日よりも三日目の交響曲五番の方が遥かに端正な演奏ながら、精妙な分表現が強く明白となっていた。明らかにより名演奏となったが、まだまだペトレンコの言うところからしてその再創造の六割も行かないだろう。こちらはまだ少なくとも年内五回は演奏されるので、更なる成功へと導かれると確信する。それにしても二楽章の出来は特筆される。三楽章は一昨年の悲愴のコンツェルトマイスターの業が無いのでそこまではいかなかったが ― 年長のスタブラーヴァはポーランドの新聞にステファンの時にソロで使われたことを誇りに思っていて、今回も意気に感じて仕事をしているに違いない ―、四楽章のフィナーレまでの流れでまだまだ楽団員においても情感的にも発展していくものと予想される。実際的にはペトレンコと楽団の間に赤い糸が結ばれるかどうかで、まだミュンヘンの座付管弦楽団のようには行かないのは当然だろう。技術的にはより鮮やかに反応できてもそれが大きくイメージとして全員に広がる工程とまで至っていない。インタヴューで、「あなた(指揮者)のために練習する」としていたぐらいだからまだまだ駄目である。

内容に関して「プログラム的に話すなら」と、とても興味深いことを話していた。それはこの交響曲が運命に翻弄されて、ベルリオーズのようなイデーフィックスで連関されていても、結局は最後に「影の無い女」の皇后のように自らの影を諦めるところで「運命が拓かれる」のと似ているという。これはまさしく、ヴァリコフスキーが自らの演出について語ったプログラムであり、ペトレンコはそのイメージを助けとしている。後任のユロウスキーのように言葉を操れないが、まさしくこれは水練練習で船から投げ出されるような捨て身感覚を例としていて、これはこれで中々深層心理的に理解を託す説明の仕方である。ネゼセガンの明晰さとも違い、とてもロシア的若しくは東欧的でもあるだろう。

東欧的と言えば、放送で同様の内容を話していた時は感じなかったが、コパチンスカヤのドイツ語がヴィーンのそれというよりもその東欧的なアクセントやその喋り方が気になった。それだからではないが「月とピエロ」も上手かったが、その分言語的な通りが悪くなっていた。何かその演奏ぶりを見ていると、ゲヴァントハウスで有名なコンツェルトマイスターのブロイニングの派手な動きとその風貌に騙されているようなところがこの女流の演奏にも思う。要するに結構な拘りなのだがそれを外見で誤魔化しているともいえなくもない。同じ奇抜でもギリシャ人のカラヤン二世とは大分市場が違う。

それにしてもヨハネス・デングラーのホルンが冴えていた。長嶋監督ではないが「欲しい欲しい」と言い出したくなるだろう。番組の前にメータ指揮のヴァーレーズなどの序でに、ネゼセガン指揮の一月のコンサートを見るとそこでもデングラーが吹いていた。一人主席を欠いているので助っ人で入っているのだろうが、雇用主の劇場との間でレンタル契約を結んではいるのだろうか?ペトレンコ体制では彼に代わる者は今いないだろう。ソリストで一人残っているドールとの起用の仕方など、どうなるのだろう。



参照:
フランクフルトにやってくる 2019-03-09 | 音
胡散臭さを振り払う 2019-02-13 | 文化一般