悪いこともあれば良いこともある。ツアースキーに関してのプログラムに目が回らずに後回しにしていたら、人数分が埋まってしまった。仕方がない、あとは如何に動機付けを失わずにトレーニングをして、再来年に備えるかである。残念だが僅か一日のスイス行でも動機付けには良かった。残念だ。

そして郵便桶を覗くとルツェルンから厚い封筒が入っていた。指で弄るだけで中身は分かった。発注していた入場券だ。冊子ではない。

自分自身へのクリスマスプレゼントである。希望の安い席なのでそれ程の席ではないが、要は始まり始まりの最初の席を確保したことがなによりもである。

これで、キリル・ペトレンコ指揮べルリナーフィルハーモニカーのルツェルン初日と第二日目を体験できる。初日のリヒャルト・シュトラウスの二曲はそれほど期待していないが、歴代の指揮者が得意としていて、恐らく何人かはルツェルンで指揮しているだろう。そこが聞きどころだろうか?要するにフルトヴェングラ―から三人との比較になる。それでも一番比較対象になるのはサイモン・ラトルとクラウディオ・アバドの演奏だろう。誰よりも深い響きが奏でられるのではなかろうか?するとやはり晩年のフルトヴェングラー指揮との比較になるだろう。

フルトヴェングラーと言えばやはりベートーヴェンなのだが、その七番は台北での練習風景で楽しみになったのだが、イスラエルでの演奏以外はベルリンでの初日を待たなければいけないのだろう。ベルリンで一回、ザルツブルクで一回、そこで三回目の演奏になるのか。

二日目のプログラムは、四月十二日にベルリンで初日のプログラムで、デュカの「ラぺリ」も楽しみで、ワンワンがプロコフィエフの第三を弾く。後半のシュミットはWDRとの録音があるがどれだけの成果が示せるのか?ベルリンで三回、ザルツブルクで一回、都合四回目となると録音可能なほどの出来になるのだろうか。それが楽しみだ。

始まりの最初であるから、いろいろと予想のつかない面もある。ベルリンのフィルハーモニカーのルツェルン公演はツアー公演としては1958年来という。カラヤン指揮の第九だったようだ。つまりフルトヴェングラーはここでは音楽祭管弦楽団を振っていただけなのだろう。ルツェルンの音楽祭自体は何回も出かけているが態々ベルリンのフィルハーモニカ―やヴィーンのそれをそこに聞きに行こうと思ったことはなかった。プログラムとしてもそれほど興味をひくものではなかったからで、月並み感が強く、それならば近場で安くという気持ちが強かったからである。

それで思い出したが、旧ホールの時だったかもしれないが、ヴァルナ―・ヘンツェ向けの招待券を貰おうかと、地元の音楽マネージャーが誘ってくれたことがある。ラトル指揮のべルリナーフィルハーモニカーに招待されるというのだが、断ったのだった。ヘンツェと並んで彼の新作交響曲を聞くということだったが、彼の交響曲には興味がなかったということでしかないだろう。今から考えると、前半で面白い演奏が聞けたかもしれないのだが、ラトル指揮のヘンツェの保守的な交響曲はプロミスでも聞いていたのでもう沢山という気持ちが強かったようだ。

しかしこれで2018年は恐らくベルリンまで態々出かける必要もなくなり、ザルツブルクに出かける必要もなくなった。それらの旅費を考えればもう少し高額の席を申し込んでもよかったのだが、その程度の席の方が入手し易い可能性も高い。

前回出かけたのはクラウディオ・アバド指揮のスキャンダルの2012年で、六年ぶりとなる。新しい会場になってからもう少し行きたいとも思っていたが、これで再び切っ掛けになる。ミュンヘンよりも近いのが何よりもよい。将来的にもバーデンバーデン次第となるが、年間五つぐらいのプログラムはベルリンよりも身近で体験出来るのではないかと考えている。多くても年間二度ほどベルリンに行けば全てのレパートリーを聞けるのではなかろうか?



参照:
原発零でも電気零ではない 2012-05-06 | アウトドーア・環境
詐欺の前に凍りつく聴衆 2012-08-19 | 文化一般
遠隔から取捨選択する 2017-11-09 | 暦