初めてか二度目かは記憶は定かではないが、美人ヴァイオリニストとして有名なヴィクトリア・ムローヴァの演奏会を聞いてきた。バッハコンサートでなければ機会が無かっただろうから初めての経験となるのだろうか?

美人と言っても勿論可成りいいお歳だろうから敢えてオペラグラスは持って行かなかった。当日は半分も入っていない入りで、二階の可成り前の席で聞いたので、グラスを構えていたら向こうからも気がつかれてだろう。チャイコフスキーコンクール1982年の優勝者でモスクワの音楽院卒であるからてっきりロシア人と思っていたら、ウクライナの人のようだ。最近でこそウクライナを主張するが嘗てはロシア人であって、それでも直ぐに亡命しているのが面白い。

それにしてもクラウディオ・アバドを含めて三人以上の父親の子供を出産していてもプロポーションも変わらなく、少なくとも遠目には若々しいのには驚かされる。ウクライナの血なのだろうか?衣装も緑のシックな花柄のドレスを引き攣り乍らも膝下が綺麗に割れていて、おみ足を見せるという爺さんたちを喜ばす憎い演出で、コンサートも徐々に熱を帯びてくる。

四曲のうち二曲は、ヴァイオリンのための編曲で、指揮のオッターヴィオ・ダントーネの編曲の世界初演だった。特に二台のチェムバロのためのハ短調のBWV1060は聞きものだった。チェムバロのソロであるから、ヴァイオリンには右手の部分が移行されていて、如何にもう一つの弾き振りのチェムバロと合わせるかである。オーボエとヴァイオリンの協奏曲として有名な曲である。丁度弦がオブリガートのように寄り添っていて、チェンバロの二つを常に感じさせて、交じり合う面白さである。

実はその前に演奏されたイ短調のBWV1041が、ムローヴァのヴァイオリンも折衷的な奏法で、更に楽団がイタリアの楽団であり、まるでイタリアンバロックのように演奏されて失望気味であったのだ。ムローヴァの演奏も20世紀らしいというか引っかかりのない流線型な譜読みと弾き方であるのに、ガダニーニにガット弦を付けた古楽風を意識しているので違和感があった。

しかし、こうした編曲での面白さは休憩後のやはりチェムバロのためのホ長調のBWV1053が二長調でヴァイオリンで弾かれると、その早いトリルなどの装飾をとても器用に良いセンスで押さえて弾かれるともはや文句は出ない。爺さんだけでなくて徐々に会場も熱くなって来る。こうした器用さは、今風の譜読みの感覚でその奏法で真面目に弾かれてしまうと編曲の面白さが出ないのではなかろうか。

最後にホ長調のBWV1042を、ガダニーニとガット弦の鼻の詰まったような音色で、その滑りの悪そうな弓の感じで弾くのでとてもお洒落だった。基本的には技術的にはチャイコフスキーコンクールの優勝者なのだろうが、流石に長いキャリア―の中でそれなりの時を経てきているという印象で決して悪くはなかった。特に通る弱音を神経質にならずに綺麗に大ホールで響かせる力量は大したもので、ギドン・クレメルのそれともまた異なる中庸なところがとても良い。

アンコールにはソロのシチリアなど、十分に一晩のコンサートをアレンジしていて、エンターティメントとしてはとても上質だった。それでもアンネ・ゾフィームターとは違って安い入場料でもガラガラなのだ。



参照:
女手で披露する音楽文化 2013-05-18 | 女
燃え尽きそうな味わい 2015-05-02 | 文化一般