新しい靴を下ろして走りに行こうと思った。週末の買い物をしていると気温が思ったより高く、肩の調子も今ひとつなので断念した。このところの気温の低下が堪えて頭痛がするほど寒かったりする。Tシャツからセーターまで小まめに調整しなければいけないのだが、仕事をしていると反応がついつい遅くなってしまう。昨年傷めた右肩まで痛むとどうしても憂鬱になってしまうのだ。

ネットで沖縄知事の記者会見を二種類、外国特派員協会のものと日本記者クラブのものを両方観た。とても印象が強かった。就任前から就任とみてくると益々その発言の明確さと自信が強まってきていて、その発言に圧倒される。県民の支持だけでなく日本国内外でもその姿勢を支持する声が強くなっている背景がその発言に表れているのだろう。

なるほど琉球の民の歴史的な変遷をそこに見るときに、どうしても被害者である側面があるのだが、翁長氏の態度にはそうした被害者意識のようなものが感じられないのが素晴らしく、それに対応する東京政府の態度の方が卑屈であると感じさせてしまうのである。まさしく氏が形容する「保守政治の堕落」であり、戦後政治の行き着いた先が今の安倍政権だとすると、日本人は琉球に学ばなければいけないのである。

加害者は忘れてしまうが、被害を受けた方はその痛みが身体にしみこんでいるようである。普段は痛みも何もない健康な生活を送っていると、痛みを忘れてその営みに全く気がつかないのだが、どこかに痛みなどがあるとそれに慣れてしまうことなどは無くて、やはりとても都合悪いことになるのである。痛みが感じられないということは、品格もなにもないということなのだろうか?



参照:
民主主義の品格の欠乏 2014-11-18 | 歴史・時事
基地阻止基金の値踏み 2015-04-11 | 歴史・時事
贖罪という営みの文化 2015-04-24 | 文化一般