ケースマン女史の飲酒運転が大衆紙を賑しているようだ。ここ暫らくカトリックイエスス会のペドフィリア事件は今更ここで扱うのも煩わしいほどであった。そもそもそれはカソリックに歴史的に付き纏う感覚であり、それが権威とか保守とか呼ばれる時、トヨタどころではない隠蔽体質によってそれが保持されているのは当然なのである。

しかし今回のドイツ・プロテスタント総長の事件では、そうした権威構造への批判が具体的な人に向けられることのない抽象的な構造なので、大変厄介である。ドイツにおいては、今やキリスト教よりも仏教の方が良いと思う人が過半数を越えているのではないかと思わせるのに、こうした精神の荒廃が背景にある事を疑わない。それを68年革命のせいにするのはやはり間違っている。

ハノーヴァーに本拠地を置く牧師のケースマン女史は離婚経歴があるプロテスタントの頭として、就任早々元旦のアフガニスタン派兵反対宣言、その他細かな問題を起こしているが、今回の事件は質が異なる。

もし彼女が歩いて近所のお気に入りのレストランで食事をしていたとしたら、あの故ハイダー博士顔負けの血中アルコール0.15%の泥酔状態で公用車ファエトンを運転して、赤信号無視で交差点で停車・発進してパトカーに捕まった成り行きは全く不可解そのものである。たとえ事情があったとしてもハノーヴァーでパトカーで連行された事のある経験のある筆者としては余計にである。当地の殆どまるで日本のような悪い道路事情では飲酒運転が危険だからこそ規制も厳しい。

想像出来るのは殆どやけっぱちの自暴自棄の精神状態である。まさにこれこそは七週間の絶食期間の真っ只中にあるプロテスタント者が取る態度ではない。プロテスタンティズムは、先進工業国の、民主主義の、個人主義の精神的な要であり、精神の荒廃という呼び方があるならばこれはそれでしかあるまい。

要するに、自己矛盾を抱えるからこそ、そこに葛藤が生じるプロテスタンティズム思考そのものの問題であり、一人の女性牧師の ― または女性首相の ― 問題ではない。ラジオは最新の辞任のニュースを伝える。辞任しても引き続き司牧者として勤め、再び陽のあたる所に戻ってくるという意見もある。カトリックではなんでもありで、懺悔があるが、これぐらいのことで辞める事はなく、さらに悪事を働いてもそれで終わりだと言う意見もある。まるでどこかの政治家のようである。しかし、こうなるとまさにプロテスタンティズムが反省すれば全て許されるどころか、神の思し召しになすがなると考えれば良いだけの自己欺瞞の宗教でしかないとなり、とんでもないが宗教家としての道義もなにももはや誰も信じない。



参照:
美食家が誇るヴァルスの音色 2010-01-01 | 音
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
男なら運転前に一寸一杯 2008-10-17 | 生活