我々余所者にとっては高見の見物である。ベルリンのオペラハウス「ウンターデンリンデン」の今後などは国の援助の関係ない州の問題である。

ベルリンの市長が「指揮者バレンボイムは、ベルリンの有するただ唯一の世界的スター」と愛を贈るように、ベルリンオペラ財団の団長シュテファン・ロジンスキーが、「プロシアからナチを通って東独へと連なる全体主義を意味するパウリックザールの扱い」を主張しても通らないとFAZは書く。

コンペティションで選ばれたクラウス・ロートの案は、視界や音響を重視して、問題となっている安全性や機能を勝ち得るために「ザールの存在」を無視するものであったようだが、ここに来て団長の意見に対してバレンボイムが南ドイツ新聞で反撃して、様相は混迷を極めて来たと言うのである。

バレンボイムが吹っかけた議論は、プロシアの模倣ならば1742年の回復であって、問題となる音響どころか蝋燭の光で上演すると言う懐古主義を採るべきであろうと嘲笑して、我々に幾つかの事を思い起こさせる。

一つは、ここでベルクの歌劇「ヴォツェク」を初演した移民したエリッヒ・クライバーは、戦後音響リハーサルにやってきて、1951年にパウリックに改装された劇場にはヒットラーが立った王のロージェは取り除かれて、「フリードリッヒ王、アポロとムゼーに」と入口に無いのを後で見つけてそのポストを却下した事や、バレンボイム自身も1996年以降音響を補正するPAの必要性を認めている事以上に、今や管弦楽団の録音以上にオペラ劇場で人工的なエコーやPAないものは殆どない現実である。

記事は、音響と視界を重視した機能的な回収案が歴史的認識議論の前に危うくなった事をバレンボイムの珍しく積極的な戦略的発言と共に論じている。そこに来て、首都ベルリンが如何にボン連邦共和国から歪な形で遷都されたのかを考えさせられる。そもそも国立バイロイトヴァーグナー劇場や連邦国立劇場などは存在しないのである。所詮、三つもの地方劇場を保持儘ならない一州の文化政策でしかありえない。

同様な歴史的視点は、同じ紙面に更に大きく大統領選挙への動きとして挙げられる。記事を書いているのは緑の党で1994年に大統領候補に押し上げられた分子生物学者のイェンス・ライヒである。

代議士などによる代表選挙で選ばれる連邦共和国元首は、党派性を超越していなければいけないので、過半数を集票するための選挙となると各党の支持が必要になる。特に社会主義者が推薦する元大学総長ゲジーネ・シュヴァンは、その選挙人数からどうしても左翼党の支持が必要になる。

そこで、連邦大統領としては二つの問いに正しく答えなければいけない。ひとつは第三帝国への見解でこれに関しては、上記の文化的な問題とは異なり、是が否を表明するだけなので全く問題はないのだが、もう一つのドイツ民主共和国の立場に繋がるスターリニズムについて明確な態度を示さなければいけない。

筆者によると、これは左翼党の支持を得たい候補には困難な問題であるという。そして云う、今後スタジを代表するような東独のエリートが選挙で選ばれる事で州や共同体の首相や主席になったり、大臣の席を得る事があるかも知れないが、連邦共和国の大統領には相応しくないとする見解である。つまりこの歴史認識は、連邦共和国の根幹と云うのであろう。