意固地にTVを見ない。EMの結果は試合前から打ち上げられる爆竹やゴ-ルの度の花火で判る。昨晩のトルコ対クロアチアのあとはなにも聞かなかった。朝起きて見ると屋根の上に見つけたのが写真の光景である。それにしても静かだったのは、恐らく昨晩は満月の次の夏至の前なので宗教的な戒律があったのだろうと想像する。ドイツ対トルコの修羅場はどうなるだろうか?

先日来ラジオをかけていても必ずしも面白いものを数多くの中から瞬時には探せない。しかし興味ある曲などが生演奏されているとどうしても耳を傾けてしまう。

ブルックナーの交響曲八番の大作が流れていた。少し聞いているだけで、科を作ったいやらしい弦楽と管の響きなどあまり聞いていられない代物と感じた。フランスの放送管弦楽団であることは放送するラジオ局から殆ど分かっていたのだが、それにしてもこれほどおかしな響きはレニングラードの交響楽団がムラヴィンスキーで演奏したもの以外に知らない。

いつもこれほどおかしな演奏をする管弦楽団ではないのでホームページを覗く。すると、サンドニの音楽祭からの実況中継で韓国人の指揮者チュンの演奏と分かった。その指揮者のメシアンの曲を演奏したCDは嘗てザルツブルクでプレゼントされた事があるので所持しているが、ドイツ音楽をこれほど滑稽に厭らしく演奏するとは思ってもいなかった。小澤氏の浪花節でもそうかも知れないが、そうしたパンソリの世界感にへきへきするだけで、なんら普遍性が無いのは確かである。

ブルックナー協会の会長であった指揮者フルトヴァングラーが記念演説の中で、その二面性での一方の土着性を語っているが、そうした側面がなんら東アジアのそれと共通性を持たないのは明らかで、中欧ドイツ語圏以外のそれらの音楽家どころか聴衆もこうした内容を理解するのは不可能だとするのはある意味正しい。