大学の町マールブルクは古い町並みが保存されている。その家並みは太陽熱発電が義務付けられて、改築には最低5000ユーロの費用が必要になるという。条例に反して太陽発電を設置しなければ8000ユーロの罰金が処せられるようになるようだ。

幾つか情報が偶然に重なってある人のことを思い出した。あまりここでは個人的な思い出などは、興味をもって読む人も居まいと、書かないのだが、あまりにもネットの検索で引っかからないので、少しだけ触れておこう。思い出したが吉日である。

亡くなって三十年ほど経つのだろうか?有名なレコード屋のご主人であった増田豊太郎さんの思い出である。戦前戦後のこともよく語っておられたが、最後まで店を出されていた三宮駅北側の対面販売の狭いマスダ名曲堂のカウンターに腰掛けて聞いた色々な話を少しづつ思い起すと無性に懐かしい。

数少ないネットでの言及のみならず氏の描いた絵をみる事が出来て、記憶の片隅にあった情報を結び付けたりしている。帝展については良く聞いていたので、ご本人が応募したような話としてしか覚えていなかったが、ネットで見ると師匠の鈴木清一が「何回も入賞していた」ことについて語っていたようだった。

その長男鈴木藍作がブライスガウのフライブルクに近い国境の町ブライザッハ在住の陶芸家と知って驚く。あの国境の町に最後に出かけたのは確か2001年9月11日だったと思う。記憶の中に多くのことが沈んでいる。

増田豊太郎の絵を見て思い出した。「僕はな、手入れされている庭よりもな、雑草の生えた自然が好きなんや」と妙なことを言うと強く同意は出来ずに思っていたが、この絵を見て当時見せて貰った絵を微かに思い出して、その気持ちが幾らかは分かるような気がする。

絵は戦前の須磨の月見山周辺の赤松林の下の緑のカーペットのようだが、確かにああいう光景は、戦後の神戸では作者が確か移り住まれた鈴蘭台方面など限られた新興市街地域にしか見られなくなったかもしれない。空き地などの余地が都市部では殆どなくなり、埋立によって海岸の松林は無くなって行った。



参照:
マスダ名曲堂の思い出(スーさんの熱血うなとろ日記)
いのちの曲(ニコニコ堂)
マスダ名曲堂(宝塚の風日記)