谷深く放牧があれば、人の生活もある。その最奥の部落に這入って行くと、突然道を塞ぐように若い男が現われた。ユゴーカジモトを何処と無く想起させる黒髪の黒目が一点に集まるような視線の男なのである。妙にフレンドリーに、これから谷を詰めるのか、何処へ泊るのだなど矢継ぎ早にイタリア語でまくし立てる。そして、岩場へ上がるのだと言うと、同行者の腹を見て、あんたには傾斜がきつ過ぎる等と真実を語るのだ。そして、アイスやらビールやらシュナップスやらあるから開いている店に来いと客引きをする。目的地を教えて貰い、帰りによるからと別れる。

結局帰りのお迎えは、牛と牧童犬と若いとは決して言えない牧童とおばあさん、そして店にはおばさんが居た。夕飯に遅れぬように一服して、おばさんにチップを含めて一括して払おうとして屋内に入ると、そこは昔ながらの牧童の小屋の趣があった。若い息子が、つり銭など上手くはかどっているか心配そうに入ってきたが、その男は昼間のカジモトとは大違いの端正な笑顔の自然な牧童であった。

そうした風景全てを含めて体験すると、セガンティーニの遺作三部作のみならずミレーの「落穂拾い」の影響を受けたと言われる作品などの 真 相 を伺えるのであった。