カリスマか、独裁者か、もしくはピエロかと言われるのが交響楽団の指揮者であろう。

スピノラ女史の記事は、大きな写真が八枚、当代きっての指揮者たちの姿に添えて、一言コメントされている。


先ずは、英国出身のベルリンの音楽監督。

― レクレーション係:サー・サイモン・ラトルは、人を引きづり込む楽天主義と教育的陶酔で、火花を発するご機嫌で楽師達を熱狂させる。 

その右には、昔は怒りのと呼ばれたフランスの作曲家出身の指揮者

― 思索親方:ピエール・ブレーズは、美味く出来た古く記号化されたシステムに通じる。いまだ荒れる大きな嵐にもストイックな静けさを護る。

左の二列目には、当代切っての強引な運転のロシア人。

― 理想家:マリス・ヤンソンスは、ひたすら全てを使い切る。音楽劇は、全て彼の顔に読み取れる。

二列目の右は、嘗てのベルリンの監督でマカロニ交響楽指揮者。

― 形而上家:クラウディオ・アバードのベルリンの交響楽団への共生的近親は、しばしば音楽独自のダイナミックからそのあまりにもの深淵までを放置した。

三列目の左は、古楽出身の元チェリスト。

― 野生人:ニコラウス・ハーノンクールは、管弦楽に生の暴力の脅しをもってかのように、正しい表現を強制したいようだ。

その右は、米国出身の欧州人。

― 禁欲家:ケント・ナガノの完成した形のエレガントでほっそりした動きは、楽師のみならず女性の聴衆をひきつける。

最下段の左には、愚鈍なドイツ人指揮者。

― 征服者:フルトヴェングラーの伝統の形式に誓うことで、クリスティアン・ティーレマンは管弦楽団の統制を握るかに見える。

大とりには、南米生まれのピアニスト出身のイスラエル人指揮者。

― エネルギー論者:ダニエル・バレンボイムは、帰来の人生讃者のように、音楽に生きる。楽団の前では自然な表現でありとあらゆる形態を動員する。


ここでは、馴染みの薄くなりがちな、小澤征爾やズビン・メータ、ロリン・マゼールやクリストフ・ドナーニなどが欠けるが、業界人の視点をそのコメントに読み取り、勝手に一言加えて紹介すると面白い。



参照:
趣味や自尊心を穿つ [ 生活 ] / 2006-02-26
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
偉大な統治者と大衆 [ 文化一般 ] / 2005-10-14