カーニヴァルのである。夜遅くまで騒ぐと、明くる日は「灰の水曜日」となる。復活祭への時となる。その特別なこの時期の雰囲気を書き表すのはなかなか難しい。しかし、様々な物書きが様々に試みている。

ゲーテの「ファウスト」に因んで、「ヴァルプルギスの夜」の章と名付けられてマンの「魔の山」の火曜日の夜は語られる。

そこでは折れ易い鉛筆がモットーのように執拗に出てくる。28歳になる年上タタール女との対話は秀逸であるが、そこで主人公の青年は色褪せた唇を開いたまま、鉛筆を持ち上げて語りかける:

「ほら、君が持っていると思っていたよ」

「ちゃんと見て頂戴。それ、壊れ易いの、ねじ込み式よ」

特別な夜の無礼講の騒ぎに、甘く割られたアルコールのパンチに浮かれ火照った体は、春の遠い山の薄い空気に包まれる。

硬い襟に首を支え、そこに顎を乗せながら「小さくても、君の」と誘って、「君って、頓知に富んでいるね」と対応されるのだが、こうして読んで来ると、WITZIG(機知に富む)がWINZIG(ちっぽけ)に見えてしまうので不思議だ。その魔法の効果は、あまりに馬鹿馬鹿しいので、世界中の数多の研究家は決して指摘などしない。ただ読む方の目が霞んで、読み違えてしまうだけなのである。

その後、二人の交友関係やらを指摘し合って鞘当的な情景がフランス語の中にドイツ語を交えて進むのであるが、乱痴気騒ぎからだんだんと人々は去り、山のサナトリウムは静まって行く。何時しか夢心地のオベロンの世界へと傾きかけて行く。

当然の事ながらその夢は、クリスマスの祝いから新年をへて、謝肉祭、棕櫚の日曜、聖週間、復活祭、聖霊降臨祭、夏至が過ぎれば、短い夏と一年を束の間とする。

こうして、ゲーテにおけるハルツ山脈の初夏の風物は、南のスイスの高地のカーニヴァルの夜となる。しかし先人の箒や杖などに並んで林檎など幾つかの女性的部位のアレゴリーに対して、この百年後の両性愛の作家はどうしても男性器に拘る。

初めて親密になったのだが、女は明くる日には旅立つと言う。そして、鉛筆を膝の上で玩ぶ青年に、寝室へと広間を先に辞去しながら、告げる:

- 鉛筆を返すの忘れないでね。

ようやく日が暮れた。朝からずっと霧がかかっている。昨日までの陽気で浮かんだ水蒸気が灰のように沈んでいるのである。