ここ数ヶ月で、最も議論されているドイツ音楽界の話題は放送局所属の二つの団体の解消であろう。一つ目はバイエルン放送オーケストラで、二つ目はシュトッツガルトの南西放送合唱団である。特に後者は、前世紀後半の主要な合唱曲を依頼ならびに初演して録音等でも有名なスコラ・カントルムの母体である。母体自体も、世界を代表するプロフェッショナルなアカペラ合唱団である。
1946年に当時の南ドイツ放送局によって、幅広い分野での合唱を受け持つために設立された。同じ所属の交響楽団と同じように、放送局が音楽文化を継承して提供するのが目的であった。今放送局は、経済の民営化の大きな流れの中で視聴料による予算の財政健全化を図るために歳出削減が急がれている。会長のフォス教授に言わせると、「戦後のような音楽文化の媒体の役目は終わり、そもそも開発の任務は無い。」となる。CD等の商業制作を素材として使うことで用が足りるということらしい。
以前に審理されている憲法判断では、「公共放送局は営利を目的としない(出来ない)プログラムを提供しなければならない。」とある。これは、特定の少数の視聴者をターゲットとしても高度な要求に応えるだけの文化の質の供給である。これを当時の憲法裁判官の言葉を借りると、「自由社会は、各々の自由な特性を示す文化を提供しなければならない。そしてそれが公共放送の義務である。」と明白に定義している。ここでいう文化的特性は、伝統的、地域的、少数民族のものであり、副次的なも含めて社会を有りの儘に写し出す鏡である。そのような文化を聴視者に紹介して、理解を深める事に助力する。只ファス教授に言わせれば、公共放送はパトロンではないので、それらの文化の振興を目的としない。これは、放送局の自己制作縮小の論拠となる。
しかしパトロンが存在しないからこそ、組織を今まで維持した価値がある。パトロンの付きそうな商業的価値を持つ組織こそ削減の対象になるのではないか。この間、この団体やその姉妹団体に依る嘱託や初演が、20世紀のドイツ音楽文化を代表するものであったことは間違いない。そしてその存在価値は、21世紀へも引き継がれている。同様の交響楽団の商業性に較べるまでも無く、このような団体が存続する経済的土台は小さいが、その文化的価値は他と比較して大きい。しかし、このような団体が、十分に広く社会に語りかける努力を怠っていたのではないか。つまり、団体所有者でもある公共放送局の義務の遂行にも疑問が向けられる。
市場を逸脱する価値については容易には語れない。それでもこの時点でなさなければいけないのは、必要とするもの、またはしないものを十分に議論して説明することである。逆説的だが黒字経営が不可能な限りは、公的文化的援助はその削除が絶えず検討されて当然である。だからこそその判定基準と優先付けが不明確なのが解せない。
参照:
伝統文化と将来展望 [ 文化一般 ] / 2004-11-13
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13
1946年に当時の南ドイツ放送局によって、幅広い分野での合唱を受け持つために設立された。同じ所属の交響楽団と同じように、放送局が音楽文化を継承して提供するのが目的であった。今放送局は、経済の民営化の大きな流れの中で視聴料による予算の財政健全化を図るために歳出削減が急がれている。会長のフォス教授に言わせると、「戦後のような音楽文化の媒体の役目は終わり、そもそも開発の任務は無い。」となる。CD等の商業制作を素材として使うことで用が足りるということらしい。
以前に審理されている憲法判断では、「公共放送局は営利を目的としない(出来ない)プログラムを提供しなければならない。」とある。これは、特定の少数の視聴者をターゲットとしても高度な要求に応えるだけの文化の質の供給である。これを当時の憲法裁判官の言葉を借りると、「自由社会は、各々の自由な特性を示す文化を提供しなければならない。そしてそれが公共放送の義務である。」と明白に定義している。ここでいう文化的特性は、伝統的、地域的、少数民族のものであり、副次的なも含めて社会を有りの儘に写し出す鏡である。そのような文化を聴視者に紹介して、理解を深める事に助力する。只ファス教授に言わせれば、公共放送はパトロンではないので、それらの文化の振興を目的としない。これは、放送局の自己制作縮小の論拠となる。
しかしパトロンが存在しないからこそ、組織を今まで維持した価値がある。パトロンの付きそうな商業的価値を持つ組織こそ削減の対象になるのではないか。この間、この団体やその姉妹団体に依る嘱託や初演が、20世紀のドイツ音楽文化を代表するものであったことは間違いない。そしてその存在価値は、21世紀へも引き継がれている。同様の交響楽団の商業性に較べるまでも無く、このような団体が存続する経済的土台は小さいが、その文化的価値は他と比較して大きい。しかし、このような団体が、十分に広く社会に語りかける努力を怠っていたのではないか。つまり、団体所有者でもある公共放送局の義務の遂行にも疑問が向けられる。
市場を逸脱する価値については容易には語れない。それでもこの時点でなさなければいけないのは、必要とするもの、またはしないものを十分に議論して説明することである。逆説的だが黒字経営が不可能な限りは、公的文化的援助はその削除が絶えず検討されて当然である。だからこそその判定基準と優先付けが不明確なのが解せない。
参照:
伝統文化と将来展望 [ 文化一般 ] / 2004-11-13
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13