念願の名古屋に行ってきた。しかし、事前に、清水義範の「やっとかめ探偵団」で親しんでいた名古屋弁は、聞かれなかった。ちょっと残念だと思っていたが、先日、TBSチャンネル1で放送された「水戸黄門第43部」11話「命守った婆さんの知恵」(本放送は、2011年)で、それが聞けて、満足した。そのエピソードは、知立のバカ殿、織部成明(雨宮良)が、小さい頃に、老人に厳しくしつけられたために、すっかり老人嫌いになり、山の上の建物に、老人は、すべからく、姥捨ての様に、追いやるというおふれをだした。或る時、毒蛇にかまれて大変なことになるが、およね婆さん(中村玉緒)さんによって助けられる。というもの。玉緒さんは、特別な女優で、この作品での黄門様役は、5代目の里見浩太朗さんだが、初代の東野栄治郎氏から歴代の黄門様、すべてと共演している。

では、前置きが長くなったので、名古屋見聞録をスタートする。

まずは、YCAT(横浜シティエアターミナル)発の高速バスに乗り名古屋へ。朝6時台には、名古屋駅前に着く。

 

 

 

左から名古屋駅の象徴ツインタワー、真ん中が、待ち合わせの定番ナナちゃん人形、右が、1989(平成元)年に、開催されたデザイン博の際に設置されたモニュメントの一つ。やっとかめ探偵団では、漏斗を逆さまにしたようなものと書かれていた。

 

 

 

駅前から栄方面へ向かって行くと1913(大正2)年架橋の納屋橋がある。1989(平成元)年には都市景観重要建物に指定されている。右は、橋の近くにある旧加藤商会ビル。1931(昭和6)年建設。1935(昭和10)~1945(昭和20)年までは、タイ王国領事館があり、現在も1Fが、タイ料理のレストランになっているため、よく見るとタイ王国の国旗がついている。

 

 

 

 

左は、名古屋名物、パトランプ。名古屋には、独自の喫茶店文化があり、喫茶店の看板には、なぜか、パトランプがついており、光って回っている。ただし、サイレンは、ついていないので、音は、しない。右は、大須演芸場。地方には、珍しい定席の寄席(毎日やている寄席)。1965(昭和40)年開場。東京には、新宿末広亭、上野鈴本、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立劇場演芸場、大阪には、天満橋繁昌亭、そして、わが横浜にも、にぎわい座がある。なお、神戸にも1976(昭和51)年まで、松竹座があったという。

 

 

 

演芸場近くの大須観音に参拝。左は、仁王門。右が本殿。

 

 

 

 

我家の宗旨、浄土真宗本願寺派(通称、お西)の名古屋本部と言える、名古屋西別院へ。左は、本堂であるが、東京の築地の本願寺よろしくインド風の建築になっている。右は、鐘楼。

 

 

 

 

こちらは、母の実家の宗派、浄土真宗大谷派(通称、お東)の名古屋本部、東別院、2つの別院は、地下鉄の駅にして、2駅分離れている。

 

 

 

 

 

東別院の側には、私の世代には、あのアニメ「機動戦士ガンダム」(1979[昭和54]年4月7日~1980[昭和55]年1月26日放送、全43回)の製作局として名高い、名古屋放送(通称、メ~テレ)があった。この放送局にしても、名古屋駅や、名古屋鉄道にしても、名古屋では、略称にする時、名古屋○○を「ナ○○」や「ミョウ○○」ではなく、「メイ○○」と言うふうに略す。

 

 

 

 

メ~テレ前に、古い下水管の展示があった。横浜にも、開港広場や、ユーラシア文化館前などに、同様の展示がある。

 

 

 

 

ライブの時間のこともあったので、東別院駅から栄駅まで地下鉄に乗った。その後、歩道橋を渡ってNHKをめざした。左は、歩道橋に上るエレベーターの中のボタン。階数ボタンが、矢印になっているのがめずらしいと思った。真ん中は、歩道橋から見た、かつてのシンボル、TV塔。東京タワーよりも古く、1954(昭和29)年6月20日開業。高さ180m。90mの所にスカイデッキ(旧展望台)があったが、2019(令和元)年より、耐震補強などの改装のため休業中で、現在は、上れない。右は、「中学生日記」シリーズでしられるNHK名古屋放送局。同シリーズからは、生徒役から、中野良子、竹下景子、戸田恵子、森本レオ、田山涼成、三ツ矢雄二、近藤芳正、加藤晴彦らを輩出しており、歴代の先生役の湯浅実、東野英心、岡本富士太、いとうまい子らも印象に残る。

 

 

 

 

昼飯は、念願の「寿がきや」へ。25年くらい前、私は大学生だった。キャンパスは、丘の上にあり、住宅地の中にあるため、近所には店がない。そのため、休講などで暇ができると、バスで丘を下って、駅前まで行った。駅前には、名古屋系のユニーというショッピングセンターがあり、なぜか、その1Fと4Fに、寿がきやの店舗が入っていた。のちに、1Fの店はなくなったが、白いスープのラーメンが一杯、290円と格安で食べられたので、良く行っていた。しかし、ユニー自体が、いつのまにかなくなり、カップ麺は今でも手に入るものの、店舗で寿がきやラーメンを食べることがなくなった。この店の特徴は、写真にも撮って来たが、レンゲ代わりについてくる先割れスプーン。かつてとは、形状が変わっていた。また、私は、食べないのだが、ソフトクリームや、ぜんざいと言った、甘味も売っていることだ。数十年ぶりに食べる味は、値段も上がって、320円となっていた。また、味も少し、しょっぱいような気がした。

 

 

 

今回の主目的のライブ会場へ向かう、途中、三越前を通ったら、なぜか、名古屋のライオンは、シルクハットをかぶって、蝶ネクタイをしていた。真ん中は、ライブハウス入口の看板。右はライブ風景。お目当ては、左でキーボードを弾いている女性。

 

 

 

ホテルは、名古屋駅前にとったので、荷物を部屋に置き、太閤口(新幹線側)の地下街である「エスカ」に降りた。「双葉」という店で、名古屋名物味噌カツ丼を食べた。味噌の味は、なんとなく、チョコレートっぽく感じた。南米などでは、料理のソースに、甘くないチョコレートを使うこともあるので、隠し味に使っているのかなと思った。また、地下街のチケットショップの自販機で大阪までの在来線の切符を買った。開けて見ると3枚の切符が出て来た。名古屋から岐阜まで、岐阜から京都まで、京都から大阪までと言った具合。朝食を駅前のデニーズで済ませると、名古屋駅より在来線に乗り、次のライブ会場がある西宮を目指した。大阪で、阪神に乗り換えだ。

 

 

以上が、私のはじめての名古屋体験である。

 

長寿アニメ「サザエさん」が、今秋放送開始50周年を迎えた。半世紀である。

アニメの中の登場人物は、年を取らないが、当たり前だが、演じている声優は、50歳、年を取る訳である。主役であるサザエさん一家7人の担当者だけでも、この50年でずいぶん入れ替わった。当初から担当しているのは、サザエさん役の加藤みどり氏とタラちゃん役の貴家堂子(さすがたかこ)氏のみ。

 マスオ役は、近石真介氏から増岡弘氏に、波平役は、長年つとめた永井一郎氏が亡くなったのに伴い茶風林(ちゃふうりん)氏に。茶風林って面白い名前だなと思っていたが、よく考えると往年の喜劇役者チャップリンをもじっている。これは、同じ長寿アニメ「ちびまるこ」のナレーターをスタート以来つとめているキートン山田氏のキートンが、アメリカの無声映画時代の喜劇俳優バスター・キートンから来ているのと似ている。

 フネ役が、麻生美代子氏から寺内より子氏に。麻生氏は、高齢により、降板したが、その後亡くなられた。一番最近の交代である。

 カツオ役とワカメ役は、それぞれ3代目。カツオ役は、当初が、大山のぶ代氏で、スタート翌年には、早くも高橋和枝氏に替わり、同氏が病気で降板した後、現在の冨永み~な氏になっている。冨永氏は、もともは、となりの伊佐坂先生の長女、うきえ役で出演していた。これは、潘恵子氏から引き継いだもので、この時、潘氏が兼務していたカツオの同級生、早川さん役も引き継いだ。その後、カツオ役に抜擢されるにあたって、うきえおよび早川さん役は、川崎恵理子氏に引き継がれた。

  ワカメ役は、山本嘉子氏が初代で、ドラえもんのしずかちゃん役でも有名な野村道子氏。夫君も声優の内海賢二氏で、賢プロという事務所をやっている。現在の3代目が、津村まこと氏である。まことという名前から、男性と勘違いされるかもしれないが、女性である。

 2番目の長寿アニメが、「ドラえもん」である。大山のぶ代氏の主演で、1979年に始まったテレビ朝日版が、現在も放送中で、こちらは、放送開始、40周年を迎える。サザエさんと大きく違うのは、サザエさんは、出演者が降板しないかぎり変えないなのに対して、2005年に、声優の高齢化に伴い、総入れ替えを行った点である。当初は、大山氏の印象がつよすぎて違和感を持たれたかもしれないが、現在の担当者水田わさび氏も、担当14年を迎え、定着した感がある。なお、テレビ朝日版と、わざわざ書いたのは、テレビ朝日版の以前、1974年に、日本テレビ版があったから、絵のタッチも出演者もちがう。ドラえもん役は、前半が、富田耕生氏、後半が野沢雅子氏。また、テレ朝版で、のび太を演じた小原乃梨子氏が、のび太のママを、スネ夫役を演じていた肝付兼太氏がジャイアンを演じていたりと違う役で出ていたりもする。また、日テレ版以前に、うしおそうじ先生のピープロが、着ぐるみを使ったドラマ版のドラえもんを企画していて、主役の声に内定していたのは、大山のぶ代氏だったという。

 さて、では、3番目に長寿なアニメは、何か?実は、サザエさん、ドラえもん以外に、昭和に始まったアニメが、もう1作品あるそれは、「それいけ!アンパンマン」で、1988年、つまり、昭和63年10月放送開始なので、翌年の1月に、昭和が終わる3か月前のことである。

 他に、どんな長寿アニメがあるだろう。

 サザエさんと並ぶ家庭アニメ「ちびまる子ちゃん」。1990年放送開始だが、1992年に一旦終了し、1995年から再開されて、現在にいたる。主役のさくら一家の声優は、おじいちゃんこと友蔵が、3代目、富山敬→青野武→島田敏と替わっている。これは、いすれも前任者が亡くなったため、特に、富山と青野は、宇宙戦艦ヤマトで、古代進役と真田志郎技師長役で共演しているので、交代時には、ヤマトを思い出させた。また、1昨年、おねえちゃんこと、さきこ役の水谷優子氏が若くして亡くなり、豊嶋真千子氏に替わった。

 ギャグアニメの金字塔、「クレヨンしんちゃん」は、1992年放送開始。昨年、主役のしんのすけ役が、矢島晶子から、小林由美子に替わった他、それより前に、父ひろし役も藤原啓治から森川智之に替わっている。

 ミステリーアニメ「名探偵コナン」。1996年放送開始。主人公コナンが居候する毛利探偵事務所の所長、毛利小五郎役が、神谷明氏から2009年に、小山力也氏に替わっている他、セミレギュラーレベルだと、担当声優の死去により後退している例がいくつかある。

 NHKアニメでは、「忍たま乱太郎」1993年放送開始。当初の主題歌を光GENJIや、安室奈美恵が在籍していたスーパーモンキーズが担当していた事でも時代を感じる。「おじゃる丸」1998年放送開始、初期の主題歌を北島三郎氏が担当していた。

 また、リメイク、シリーズものなどで、断続的に続いているものとしては、

「ゲゲゲの鬼太郎」。第1作は、1968年放送開始。「ルパン三世」第1作は、1971年放送開始、「宇宙戦艦ヤマト」第1作は、1974年放送開始、「機動戦士ガンダム」第1作は、1979年放送開始、「ポケットモンスター」第1作は、1997年放送開始、「プリキュア」第1作は、2004年放送開始、「ドラゴンボール」第1作は1986年などがある。

 これらは、若い人からすれば、ものごころついた時には、既に放送していたアニメということになるだろう。

前回書いた青春18きっぷの旅行で、交通系ICカードや精算機が使えない例があったので、それについて書いてみる。

 

① 交通系ICカードが使えない例

 交通系ICカードは、乗った駅で自動改札にタッチし、降りた駅でまたタッチすればいいので、切符を買う手間が無くて、便利である。しかし、使えない場合もあるので要注意である。そもそも自動改札をICで通れるのは、降りた駅でタッチした時、乗った駅を認識して、運賃を計算し、カードにチャージしてある金額から引き落とすという作業をしているからである。しかし、降車駅の自動改札で認識できるのは、JRでも同じ社内の駅のみであるということ。つまり、JRは、旅客系では、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州と6社に分かれている(他にJR貨物もある)わけであるが、複数の社にまたがって乗車する場合は、使えないというわけ。つまり、JR横浜で乗って、JR東京で降りる場合は、両方ともJR東日本の駅なので、問題なく使える。それは、東日本発行のSUICAだけでなく、西日本発行のICOCAやその他、全国の交通系ICカードでも同様に使える。しかし、複数の社にまたがる場合、先日の私の例だと、JR洋光台~JR浜松だと、前者は、JR東日本、後者は、JR東海であるため、浜松の自動改札では、洋光台を認識できず、運賃が計算できないため、使えないというわけである。

 

② 精算機が使えない例

 ①の知識があったため、交通系ICは、使わずに切符を買ったのだが、沼津までしか買っていなかった。沼津は、JR東海の駅なので、浜松と同じ会社だから、浜松で、精算機で精算すればいいと単純に考えていたからだ。しかし、何度、精算機に切符を入れても認識せずに、戻ってきてしまった。そこで、有人改札に廻って、駅員に精算してもらった。あとで、よく考えて見ると、沼津はJR東海の駅であるが、精算は、単純に、沼津から浜松までの運賃を払えばいいわけではなくて、洋光台から浜松までの運賃と洋光台から沼津までの運賃の差額を払うということになるわけである。しかし、精算機は、他社の駅である洋光台を認識できなかったため、差額がもとめられず、切符を受け付けなかったわけである。

 

以上は、JRでの例であるが、相互乗り入れ(線路がつながっていて、他社線が、べつの他社の駅まで乗り入れていて、改札を通らずに、違う社の路線にそのままのれる)の場合なども、同様の例が考えられる場合があると思うので、確認が必要である。