10年以上つづけていたyahooチャットが終わってしまったので、その思い出をつづってみようと思う。
私が、最初にチャットというものの存在を知ったのは、TVドラマだった。TBS系で、1989年に放送された「空と海をこえて」というドラマだった。後藤久美子がヒロインで、塾の合宿で、引率者の一人として沖縄の無人島に行く。そこで、自炊中に、食中毒が起き、後藤以外全員が倒れてします。合宿所にあった固定電話は、男の子たちが、遊んでいたサッカーボールが当たり壊れてしまったために使えない。そこで、電話線にPCをつなぎ、インターネットのチャットに入り助けを求めるのだが、どこのルームに入ってもいたづらだと思われて取り合ってくれない。しかし、ある俳句のサイトに入った時、メンバーの女性(荻野目慶子)が、自分の兄(加藤茶)の教え子がそこ居ないかと聞いた。その女性のそばにいて、そのサイトを見ていた兄が、その島に自分の教え子が行っているはずだと言ったからだ。はたして、その子もその島にいて、発症したという回答があったので、ようやく信じてもらえる。そこから、パソコン通信をつうじて、海外からワクチンをとりよせて、運んでもらい、なんとか助かるというストーリーだった。
また、次にチャットを見たのは、1999年1月11日~2月1日に日本テレビ系で放送されたアニメ「金田一少年の事件簿」の第74~77話「電脳山荘殺人事件ファイル1~4」でもパソコン通信(チャット)が登場した。これは、96年4月15日に発売された3冊目の小説が原作になっている。主人公の一と美雪がスキー中迷子になり、雪も激しくなったので、山荘に逃げ込んだところからはじまる。その山荘では、あるチャットグループのオフ会が開かれていた。オフ会であるため、メンバーそれぞれが、HNで呼び合っており、本名も素性も知らないということを一は不思議に思う。そうこうするうち、メンバーの一人が殺害され、つづいて、また一人、1人と殺されていくというものだった。
その後、前記のようなドラマやアニメを見て関心のあったチャットを私自身がやる機会が、ついに来た。それは、私が、2000年頃、WindowsMEの時代に、PC教室に通った時、その授業の中でで、1回だけ、チャットをやる回があったのだ。その時は、先生が、そこのスクール用のサイト内のチャットにルームを作り、その時、一緒にやっていた私を含む5人の同級生を招待する形で、すぐ近くにいる知り合いだけでチャットをやったが、他の生徒が、あまりチャットに関心なかったのか、盛り上がらなかった。その後、教室を卒業してから、MEのPCを購入して、自宅でインターネットをはじめた。そして、思い出したのが、授業でやったチャットだった。ほかの所にも書いたが、その教室の主催のサイトのチャットにもちょっと参加してみたが、練習用なので、やはり、のめり込むところまでは、行かなかった。
さらに、インフォシークのサービスにチャットがあるのを見つけて、しばらく通ってみたが、ID登録をせずに、やっていたため、利用者が作るチャットルームには、入れず、サイト側が用意したパブリックルームにゲストIDで参加した。ゲストIDのため、毎回、ログインするごとに、名前の数字が変わる。パブリックルームであるため、話題も広いので、これも、いまいち盛り上がりにかけた。
そして、いよいよ、Yahooチャットに参加した。Yahooのサイトに関しては、当初から、検索に利用するために、ホームページに設定して、ブラウザを立ち上げると真っ先に見えるようにしていたが、そのコンテンツの中に、チャットの文字を見つけたのである。Yahooメールを使うために、IDは登録してあった。クリックしてみるとブラウザ版のyahooチャットの画面が開いた。最初は、インフォシークでやったように、パブリックルーム(yahooルーム)に参加してみたが、そのうちに気になって利用者が作る部屋(ユーザールーム)のリストを覗いてみた。すると、たとえば、yahooルームでは、部屋のカテゴリが、「音楽」程度の絞り込みであったが、ユーザールームなら、部屋主が勝手に作る部屋なので、「中島みゆきの部屋」みたいに、もっとピンポイントな部屋があるのも、分かった。なので、ユーザールームに出入りすれば、もっとピンポイントに、自分と話題の合う人とお話できると思い、出入りするようになった。居心地のいい部屋を見つけて、常連になることで、よくお話しする知り合いもできた。そこで、次のキーワード「yahooメッセンジャー」というのが出てくるわけである。