土曜日、若旦那が掛けた釜
お茶会があり、
そのお茶会のみなさまがお帰りになった後
一服いただいた。
蝋燭の灯、
窓からもれる街灯のあかり
それらが、自分が居るのに必要な分の光を投げ入れてくれる。
炉の炭の朱が目に入り
釜の湯気が座をあたためる。
この日は楽茶碗でお薄をいただいた。
蝋燭の灯のもとで楽はまるでその暗闇と同化するように
そこに在る。
しかし、手にするとじんわり伝わる温度は
そこに確かに存在することを
肌に伝えてくる。
確かな存在を、
視覚からではなく
肌から伝わる温度から感じとる、その安心感。
そして口に流れ込む抹茶の味わい。
視覚のみに頼らず
触覚、味覚、嗅覚、聴覚 それらによって存分に味わう一服の
どこまでも広がってゆくその豊かさは
なにかを腹の奥に落とし込んでゆくように思えた。
ある初冬の夜のこと。
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