直江兼続ゆかりの地をめぐる旅⑤ 幻の白河決戦と白河小峰城
今日からシルバーウィークですね~♪
みなさん、楽しい予定がたくさん、なのかしら。
すっかり涼しくなって、秋モードに突入ですが、夏旅行レポを続けたいと思います。
東北の入り口、白河と「天地人」のお話。
慶長5年(1600年)9月15日に、徳川家康と石田三成が雌雄を決した天下分け目の「関が原の合戦」が起こりました。
その直前の、家康による上杉征伐(会津征伐)の際に、上杉景勝の重臣である、
大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続によって、ある作戦が計画されていました。
それは、「幻の白河決戦」とも呼ばれる、奥州の関門・白川口における「徳川軍殲滅作戦」でした。
先週の「天地人」では、徳川家康の大軍を迎え撃つべく、白河に「正義の砦」と名づけた防塁を築いていた兼続。
毛利輝元を大将とした三成軍が挙兵したと聞き、西へ一気に引き返す家康を追うことは「義」に適わず、と、
主君景勝に言われ、徳川軍追撃を泣く泣く断念します。
西の石田三成と、東の上杉とで徳川軍をはさみうちすれば、歴史はどうなっていたかわかりませんね。
さて、その白河とは、どの辺りなんでしょうか?
(現在の都道府県で色を塗ってあるので、ちょっとわかりにくいですね。
実際の、当時の上杉領は、会津120万石ですから、今の福島県よりもうんと大きいです)
残念ながら現在は、兼続が築いた防塁は、しっかりとは残っていません。
さて、白河にもお城があります。
奥州関門の名城と謳われた「白河小峰城」です。
14世紀中ごろ、白河地方を治めていた結城親朝が小峰ヶ岡に城を構えたと伝えられ、
戦国時代には、結城氏の本拠地となったと考えられています。
天正18年(1590年)に、豊臣秀吉の奥州仕置により、12代結城義親が改易されると、
白河は会津領の一部となり、蒲生氏・上杉氏の支配下に置かれました。
徳川家康による上杉討伐の際には、上杉方の最前線防衛拠点として重要視されたようです。
石垣の組み方が独特なんだそう。
現在に残る縄張りや城下町の町割は江戸時代初期に丹羽長重によって整備されました。
お城は、幕末の戊辰戦争の際に消失しましたが、
平成に入ってから、三重櫓や前御門が史実に基づき忠実に木造で復元されました。
2009年大河ドラマ「天地人」をめぐる旅
直江兼続ゆかりの地をめぐる旅③ ~関が原の戦い後の上杉家と「かねたん」~
天地人 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ストーリー)
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