鵜原理想郷① 与謝野晶子と三島由紀夫と | 旅好き絵本屋の「えほんのあるせいかつ」

鵜原理想郷① 与謝野晶子と三島由紀夫と

外房・鵜原の鵜原理想郷をお散歩♪


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さて、出発!



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このトンネルを抜けていきます。



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おばけちゃんが住んでいそうねおばけ



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外房の鵜原にある『鵜原理想郷』は、太平洋の荒波に浸食された、典型的なリアス式海岸です。

深い入江を覆うように、木や海岸性の植物が紺碧の海に突き出た岬の先端までみっしりと茂っています。


その複雑な自然の姿に惹かれ、古くから多くの文人などが訪れて、数々の作品を残しました。

特に与謝野晶子は、昭和11年4月~5月に友人達と滞在し、76首もの歌を詠んでるそうです。


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勝浦海中展望塔が見えます。



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綺麗な実!



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この地が「理想郷」の名で脚光を浴びたのは、大正末。

当時の観光開発ブームの余波をうけて、鵜原が別荘地として開発され、その際に「理想郷」と命名されました。


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入り江には、小さな漁港があります。


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こんな美しい土地ですが、戦時中には、入り江の漁港が特攻隊の訓練基地となったそうです。

米軍の本土上陸を迎え撃つため、ベニヤ造りの特殊挺「震洋」で自爆攻撃を!ということだったそうです。


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学徒動員による飛行予備学生が鵜原に集結し、毎日、特攻訓練を続けました。

いまも、彼らが掘った大小のトンネルや洞窟があちこちに残されているそうです・・・・・・。

二度とそんな時代が来ないように願うばかりです。


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三島由紀夫は、「岬にての物語」という小説を書きました。

この岬とは、ここ鵜原・理想郷のことだそうです。

「岬にての物語」という、美しい、けれども、濃厚な「死」の匂いに覆われた鬼気迫る小説は、

特攻訓練が繰り返されれていた、まさにそのときに構想されました。

三島もまた、自らの「戦死」を予感し、この短編を遺書のつもりで執筆したのではないか、と評されているそうです。


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「類ひない岬の風光優雅な海岸線、窄いがいひしれぬ余韻をもった湾口の眺め、たたなはる岬のかずかず、殆んど非の打ち処のない風景を持ちながら、その頃までに喧伝されて来た多くの海岸の名声に比べると、不当なほど不遇にみえる鷺浦は、少数の画家や静寧の美を愛する一部の人の間にのみ知られていて――」(「岬にての物語」より)



岬にての物語 (新潮文庫 (み-3-26))
三島 由紀夫
新潮社 1978-11

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