新美南吉記念館へ
「ごんきつね」「てぶくろ買いに」などの童話で知られる、
新美南吉氏の教え子だった、義母。
安城高等女学校時代の3年間、英語や国語を教わったそうで、
自称、文学少女だったという義母は、
先生の作文や詩の指導がたいそう楽しかったという話を聞かされたのは
結婚してすぐの頃だったろうか。
明日までとなってしまった企画展、
「教師南吉と67人の生徒達」を見に、半田市にある、新美南吉記念館へ。
29歳の若さで没してから50余年、
個人では保管が難しくなってきた、手紙や本など、
義母も手元においていたものを、
これを機にすべて寄贈したそうな。
この女学校で教鞭をとっていた頃の南吉は
病と折り合いをつけつつも、一番、創作にも意欲的で
本当に充実した時を過ごしていたよう。
また、生徒の作文や詩作の指導にも力を入れていて
「もはや作文の域ではない」と言わしめるほどの
すばらしい文章を綴る生徒も、少なくなかったようです。
様々なエピソードはあっても、
多くの展示の中、やはり探してしまうのは、
義母の名前。義母の寄贈品。
中でも一編の詩とエピソードが印象的で。
と、いうわりには、題名を忘れてしまったけど・・・
手、だったか、指だったか。
生徒が走ってきて「先生、突き指をしたから、なおしてください」という。
生徒の手をとって、指を引っ張り、
ヨードチンキ(・・・突き指なのに?苦笑)をつけてやると、
生徒は礼を言って、行ってしまった。
その後、そっと手を見つめて、ぐっと手を握って、またそっと開く。
ワタシはただの教師なのだから、とつぶやく・・・
そんな詩なのだけど、それにまつわるエピソードとして、
その生徒である、義母の日記が添えられていた。
「先生はヨードチンキも塗ってくれたが、
その後、痛みがひくどころが、どんどん腫れていった。」(苦笑)
南吉氏25、6歳の頃だろうか。そして女子高生の義母。
治療のためとはいえ、女子高生の手をとり、
ふわっと甘酸っぱい気持ちが漂ったかもしれないけれど、
突き指にヨードチンキは、どうだろう?南吉先生。
しかも、さっぱりした気性の義母のことだから、
きっと南吉氏のかすかな気持ちの揺れに気付くこともなく
颯爽と走り去ったに違いない・・・。
今では、記憶がところどころ不自由して、
まるで女学生のようになってしまった義母の
輝いていた頃を想像すると、
せつないような、いとおしいような、
不思議な気持ちになるのでした。
そうそう、新美南吉記念館、建物も面白いです。
設計は、新家良浩建築工房。
半地下、屋根に芝生、半田の緩やかな山並みに沿うような
なだらかな曲線。自然に抱かれる、建物って感じでした。
雑誌で見たのよりも、ボリュームを感じなかったなぁ。