たしかに、「自分が変わると相手も変わる」んだけど、それは自分の人生の範囲に(重なっている部分に)置いて、まぁ結果的には、そういう言い方もできる。という話なだけ。
相手も自分の人生を運転している、一人の人間です。
相手の人生において、「私」を重ねてくれている。それだけでも奇跡でしょう?そこに愛がないわけはないでしょう?
ここを勘違いすると、独りよがりの傲慢な勘違いご自愛になってしまいます。
私は以前、設定変更を伝える時に
「思い通りの人生に♡」という言葉を使っていた事があります。
2年前くらいかな?
私の伝えたい「思い通りの人生に」というのは、
全てが愛という本質の中で(「全てが喜び」という真理の中で)、だからこそ「好み」を選んでいくという姿勢です。
全てを好みに変えて幸せになってやる、という姿勢ではないんです。
そんな風に伝わってしまうことが多いから、使うのをやめた。
どうか
で終わらせないで欲しい。
そこには、もう一人の人間の、大切な人生があるのだから。
これだと、結局はいつか、何か望まないように見える現象が起こった時に
「ご自愛不足」という自分責めが始まるし、何より目の前の愛を取りこぼす。
望むように行った時は、自分の「手柄」だけで終わる。
つまり、自然に溢れる感謝の質と量が圧倒的に違ってくる。
私が、女性は「投影の法則」「鏡の法則」を考えなくていい、と言うのは、ここにあります。
どうしても「自分が変わったら相手も変わった!」そこで終わり、むしろ傲慢になりがちだから。
ものすごく外側の上辺の話な気がするの。
もちろん自分の中の器とぴったりの相手になるし自分の中の男性性が、相手の器とぴったりなのだけど。
そもそもで、いつもそんな時から、自分の大切な人生を、私と重ねてくれていた人。
愛が無いわけはないのだよ。
という、本質の部分に気づいていくのが設定変更。
恵美子さんのお義父さんも、結婚して家に入った時から嫁の人生を最大に応援できる義父で在りたいと思っていたのかもしれない。だから「僕にも言わなあかん」と言ったのかもしれない。
はるかさんの旦那さんも、はるかさんのいう通り、産後の体の心配、母になったばかりのはるかさんの心配をしたのかもしれない。その愛の折り合うカタチがお互いわからなくて、「目も合わせない」「口も聞かない」という愛の表現になったのかもしれない。
愛のカタチは、「賛成」だけじゃなく「反対」というカタチの時だってあるよ。
私が変わると相手(世界)が変わる
この言葉の奥にある本質は
自分自身の「愛」の「設定」を大きく拡げ
全てを繁栄に繋げるパワー。
あなたの周りにいる人は基本的に味方しかいないんだよ。
それは後に、離れることになる人でもそう。
いろんな意味で味方である。
どんなに好みじゃない愛の表現であっても。
その上で、その愛が好みじゃなければ、その愛の表現は好みじゃ在りません。受け取りません。としたらいい。
(例えばDVとかストーカーとか、虐待とか)
この構築には、そもそも「すべて愛である」「すべて喜びである」として世の中を見る視点がないと、「愛か愛じゃないか」「愛されてるか、愛されていないか」という的外れなところでジャッジして、好みを純粋に選べない。
今回マリーアントワネットの間に入った時に、ぶわっと何かが溢れそうになったのは、私の中で去年、この場所で、強く決めた事があったから。
本当の愛を伝えられる人になりたいな
この部屋にふさわしい私で在りたいな
私自身が、愛をもっと知っていきたいな
アントワネットが大好きだったこのお部屋は、本当に純粋な愛のエネルギーが溢れている場所。
3冊目の本
「お金の神様に可愛がられる人づき合いの魔法」の読書会を、このお部屋でできたこと、本当に本当に嬉しく思うし、
とってもこの本を歓迎されているように思えたのでした。
発売は8月23日です♡