暑くなったかと思いきや寒くなったりで、
 
真冬のニットをまだ着てるのですがキョロキョロ
 
それはさておき、
前回の記事の続きを書きますね。
 
通院を終えた夜、
ベッドで横になると、
涙が溢れて止まらなくなりました。
 
何も考えていなくて、
予兆なしにです。
 
原因はわからない。
 
涙を流すのは感情のデトックスになるから、
泣ける方が良いのですが、
 
長い間我慢している内に、
自分一人で、
泣いても誰にも迷惑かからない状況でも
滅多に泣けなくなりました。
 
なので、驚くと共に、
何か理由がある。とも思いました。
 
このまま朝、
家族と顔を合わせる時間になっても
困るので、
 
原因を探り当てる為、
心の声を聞いてみました。
 
すると、以下のような声が。
 
私はそんなに強くない。とか、
 
期待されるのが辛い。とか、
 
優しくされると辛い。
とか、
 
生きていたくない。
とか、
 
行き着く先は死にたいになるのですが、
 
何故このようになったのか
理由はわかりました。
 
入院前のブログで何回も書いてましたが、
 
アニバーサリーデーを先生と迎える
2カ月程前は、
 
このまま入院を断り続けている内に、
交代人格が殺してくれる。
それがやってくる予兆は感じていました。
 
私はそれで終わらせるのが最善だと
思っていたので、
入院を断り続けていました。
 
あともう少しで死ねる。
 
そう安堵していた中、
突然届いたアニバーサリーデーの案内ハガキ。
 
昨日今日知り合ったような先生だったら
気にもとめなかった。
 
けれど、
無関係を装って決行するには、
お世話になってきた年月が長いし
密度が濃すぎました。
 
葛藤というより混乱はしたと思う。
多分(もう記憶にない。)
 
先生にとって記念すべき日、
記念すべき1年に自殺するのは、
 
私の義理人情的には出来ないなと
思いました。
 
交代人格がやってしまう分には
仕方ないにしても、
 
私本体が決行したり、
交代人格を誘発することもダメだな。と。
 
死に一直線から、
1年間生きるへの方向転換。
 
期間限定なら過去と同じように
何とかなるだろうと思っていました。
 
方向転換してからは、
アニバーサリーデーを一緒に祝うことを目標に、
プレゼントの作成や
プレゼントのオーダー等に追われている内に
過ぎていきました。
 
そして、
アニバーサリーデーで一緒に笑顔で過ごして、
この日まで待ってもらっていた入院をして。
 
先生にも訪看さんにも入院担当医にも、
 
1年間頑張って生きるので、
サポートをお願いします。
 
と伝え、
その為にどう過ごせばいいのか、
試行錯誤の日々が始まりました。
 
という流れがあっての今なのですが、
 
私自身は、
1年間死ねないと思った時点で
腹を括ったつもりだったけれど、
 
私の心は私の思考に全然ついていけて
ませんでした。
 
どうせ1年間死ねないなら、
 
死にたい死にたい言ってるより、
1年間穏やかに周りにも心配かけずに
過ごしたい。
 
そう思って、
頑張って生きます。って言ってたのですが、
 
言ってる内に、
私自身も生きたいと思ってるって
錯覚しちゃって、
(ある意味、言霊効果。笑)
 
本心とズレていってたんですね。
 
そのサインとして、
先生に会いに行くのが、
何だか気が乗らないから始まっていました。
 
何故かは今ならわかります。
 
先生と会う度に、
生きなきゃいけないと再認識するから。
 
そして先生が
ここぞとばかりに、
少しでも生きやすいようにならないか、
色々提案してくださることも
重荷になっていました。
(ブログには書いてない部分です)
 
もう、勝手に一人劇場やってました。
 
先生から、
アニバーサリーイヤーだから死ぬなって
言わたわけではないし、
 
誰からもすすめられてもないアセアセ
 
全ては私自身が、
こうありたいと思って決めたこと。
 
自分の頭と心が一致してなくて
辛くなっているだけなのに、
 
心を無視し続けた結果、
 
■私はそんなに強くない。

→私以外誰も強くなれと求めていない。
 
■期待されるのが辛い。

→私以外誰も期待してない。
私が生きたいって言うから、
サポートの手を差しのべてくれてるだけ。
 
■優しくされると辛い。

→生きたいですって言うことは
私にとっては嘘をついてる状態だから
支援される事に対する後ろめたい気持ちや、

(勝手に)期待されてると思っているから、
期待に応えれないから優しくされても
受け取れないと罪悪感を感じる。
 
という具合で、
なんか自分以外のせいみたいになってましたキョロキョロ
 
アニバーサリーイヤーでさえなければ死にたい。
 
が本音だよね。
 
何なら今は、
アニバーサリーイヤーだけど死にたいに
なってるよね。
 
だけど先生に申し訳なさすぎるから、
そうしたくないのも本音だよね。
 
どっちも本音だし、
どっちもあるままでいいんだよ。
 
私が今回失敗したなと思ったのは、
 
この本音を自分の中でも無かったことに
してしまっていた部分です。
無意識でしたが。
 
 
アニバーサリーイヤーの間
死にたくないから、
生きていられるよう周りにサポートを
求めることや、
 
どうせなら前向きな言動でいたいと
思ったこと自体は、
間違ってはいなかった。
 
機能不全家族で育った私には、
幼少期からの呪縛があるから、
長いこと、周りに頼ってはいけないと
思っていたので、そこは進歩です。
 
もちろんここだけは本人が頑張らないと
どうにもならないところというのは
あるのですが。
 
今の私で例えると、
【生きる】という部分。
これだけは私しか頑張れないところです。

どれだけ主治医が敏腕でも
支援者に恵まれていても、
私の代わりに生きることはできないから。
 
話がそれてきた。
 
で、じゃあどうしていたら良かったのか
ですが、
 
思考と心を一致させていれば良かったんです。
 
アニバーサリーイヤーの間
生きていないといけないと頭では
思っているけれど、

死にたい気持ちが消えないのも事実であり、

死にたいしか考えられない時より、
心のケアもしないといけない。と私自身が
認識していれば良かったのです。
 
なのに、
周りに目標を言いまくっている内に、
まるで心の中まで100%生きるに賛成
してるみたいに自分を騙したから
不具合が出たのです。
 
もちろん心は全く生きたいと思ってない
わけでもないです。
 
心が無ければ、
アニバーサリーイヤーだろうが
気にも止めずに死ねてます。
 
ただ、
死にたいと思いながら過ぎていく日数より、
生きなきゃいけないと思いながら過ぎていく
日数はあまりにも遅すぎて、
 
アニバーサリーイヤーの間は
頑張って生きていたいと思う気持ちが、
消えそうなぐらい小さく小さく
なっていきました。
 
思考と心が一致していない。
ということに気づいたのが、
先週末の通院後でした。
 
長々と書いてしまいましたが、
 
今日も1日お疲れさまでしたにっこり
 
最後まで読んでくださってありがとうございますおすましスワン