ウツから回復していく時って、それを実感しながら、「あとのことは、大したことではない」と開き直っていくようになるんじゃないかと思っています。


母のすぐ下の妹である叔母さんには、子どもの時に良くしてもらいました。


女の子のいない叔母さんは私を可愛がってくれて、小4のお正月に彼女の家に泊まりに行きました。まあ、実家のような所で育てば、普通の家は「なんでこんなに優しいの?」と感じるのでしょう(辛辣)


叔母のご主人である叔父さんも優しかったし、叔父さんの母親であるお婆ちゃんも優しかった。親戚の子どもだから、ほんの数日だったからかもしれませんが。


よく覚えているのは、叔母の家から父母の家に帰り、父母と3人で就寝した私は、「こんな所へ帰ってきてしまった」と、布団の中で声を殺して泣きました。


時が過ぎて2、3年前、老人マンションに一人暮らしの叔母から何十年ぶりに電話が来て、私は嬉しくて、遠距離だけど交流が始まりました。


その後叔母はグループホームに移り、コロナ禍で会うことも出来なくなりました。


私は一人暮らしになってウツで動けなくなった時、「叔母に絵ハガキを出そう」と思って、郵便局に行きました。「こんな時にも叔母の存在は私を救ってくれる」と、涙が出て、その行動が、知的障害団体へのボランティアにつながっていきました。


今日、たまたま郵便局に行くと、梅や桜をかたどったグリーティングカードが沢山販売されていました。叔母はまだホームに居るはずです。


「叔母にお花のカードを送りたいな」と思いました。それほど強烈な思いではなかったけれど。そして、「叔母は絶縁している母に、電話で私のことを話すかな?・・・面倒だな。やめておこう」ーそう思いました。