私的 アメリカ フォーク列伝(Part3):ジョーン バエズ | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。

日本でも、アメリカでも野球はリーグ決定戦の熱い戦いを繰り広げています。


同じ「戦い」でも、最近のイスラム国やウクライナ問題などの悲惨な戦いは、早く鎮火して欲しいもlのです。


今回は、「フォークの女王」「反戦の女王」と言われ、平和を願ったたこの女性です。


なお、来週から暫くの間、ブログの更新を毎週土曜日にさせて頂きます。

火曜日担当のKaitoと私Kane二人で、1週毎に書いていきます。


<ジョーン バエズ>


バエズ1  中学生の頃何故かジョーン バエズを聞きだしました。
ボブ ディラン から反戦家のジョーンバエズに興味が行ったのでしょうか?
それとも、中学の音楽朝礼でバエズの「ドナドナ」を歌い、この不思議な歌に興味をもったのでしょうか?。
今となってはその理由はわかりません。
それこそ答えが「風にまっています」。


 思い起こすと、割と僕はバエズに興味を持っていたのかもしれません。
この黒髪で、伝統的な西洋人というより、何かアジアっぽい女性を。


 日本では「フォークの女王」として、僕が中学生の頃 言われていました。
彼女の色々な歌をよく覚えています。


「ドナ・ドナ」
   ある晴れた 昼さがり 市場に続く道 

   荷馬車が ゴトゴト 子牛を乗せていく
   なのも知らない 子牛さえ 
   売られていくのが わかるのだろうか
   ドナドナ ド―ナ ドーナ 
   悲しみをたたえ


   日本でも64年頃はやったと聞きます。
 僕は、中学生の頃、何とはなくギターのつなたい伴奏で、このもの悲しい詩を歌っていました。
 その頃は、この詩の持つ意味はよくわからなかったと思います。


「We shall overcome(勝利を我らに)」は彼女の声が耳に残っています。
   
  We shall overcome
  We shall overcome
  We shall overcome someday
  Oh deep in my heart
   I do believe
  We shall overcome someday
  

公民権運動という言葉、そして何に対して勝利するのか、中学生の僕が正確に理解していたとは思えません。


そして「Song Of Bangladesh(バングラデシュの歌」
   Bangladesh
   Bangladesh  

  という繰り返しが、僕の心に響いていました。
  彼女の声は、悲しい詩にはものすごくあうんです。

  この歌は、当時ジョージ ハリソンがバングラディシュの貧困に見かねて、「バングラディシュのコンサート」を主催した頃でしょうか。


映画「死刑台のメロディー」を見ました。
  バエズの「Here`s To You (勝利への賛歌)」が主題歌でした。
  この映画は無実の二人の男が死刑台に追い込まれる物語です。


  Here'st to you, Nicola and Bart
  Rest foeever here in our hearts
  The last and final moment is
  youurs
  That agony is your triumph


たった4行でできているバエズによるこの詩も心に残ります。


  高校生の時に、ジャック 二コルスアーサー ガーファンクル(ガーファンクルは映画出演の時は、アートではなく、アーサーにしています)主演の「愛の狩人」と二本立で見ました。
当時、地方の都市では、半年位東京のロードショーから遅れ、二本立てで映画が上映されていました。


 映画「心の旅」もみました。
  夫デビッド・ハリスを牢獄から解放させるために全米縦断コンサート旅行に出たジョーン・バエズを追って、各地での演奏と私生活を克明に記録したドキュメンタリーです。(1971年)


 とにかくバエズは戦う女性の象徴のように思えました。
  こんなバエズに感化されたのでしょう。
  高校生までの純粋な時代、僕は世界平和を願い、国際連合の職員になりたいと本気に考えていました。


 
バエズ2  そんな僕は、高校2年生の時(74年の1月だと思います)に、
武道館 でバエズを観た、いや聴きました。
  当然フォークの女王は飾らず、ジーパンで出てくると思っていました。
  驚いたことに、彼女はステージ衣装を着ていました。

それもおおよそ僕の想像を超えた、ピンクのパーティードレスで。
 これがあの戦う女性のジョーンバエズかとびっくりしました。


 残念ながら、彼女の当日のステージの模様は、ギター1本で歌ったこととMCの一言以外、何も覚えていません。
 「何かリクエストはある。できれば演奏するわ」
 正直この時は、拍子抜けしてしまいました。


 当然、何か強いメッセージをステージの彼女から聞けると思ったのに、当てが外れました。

 何かここらあたりから、バエズと距離を置くようになったような気がします。
 僕は、歌そのものより、彼女の歌の背景に強い関心を持っていたのだと思います。

 こんなところが、フォークソングが他の歌と異なる部分かもしれません。


 
バエズ4   話はかわりますが、バエズがディランをアメリカの民衆に紹介したことは有名です。
 彼女のコンサートで、バエズがディランをステージに登場させたと聞いています。


 YouTubeで何かバエズとディランの映像がないかと探したら、あのキング牧師「私には夢がある」の演説で有名な「ワシントン大行進」で歌うバエズとディランを見ました。
 バエズやディランは歴史に参加しているのですね。




 この63年当時は、バエズはディランを世の中に引っ張り出し、プロテストソングを歌っていました。
 バエズがディランを引っ張りださなかったら、ディランはこんなにも今のように世の中に出られたのでしょうか。

 ディランの「風に吹かれて」をヒットさせたのはPPM ですが、ディランを世に知らしめたのはバエズだったのではないでしょうか。