私的 アメリカ フォーク列伝Part2「ボブ ディラン:フリーホイーリン ボブ ディラン」 | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。

今日から彼岸に入ります。

22日の月曜日を休みにして4連休の人もいるかもしれませんね。


今回は大御所 ボブ ディランです。

6月に、ホテルのメモ紙に書かれた自作の「ライク・ア・ローリング・ストーン」の原稿がオークション2億円で落札されて話題になりました。


 <ボブ ディラン:フォークロック前>


ボブ ディラン  PPM
の音楽が僕にディランを聴く機会になったことは、前の章(PPM )で書きました。


 ただ、ディランの曲を聞きたいと思いましたが、ディランのレコードがなかなか手に入りません。

レコード店のディランがなかったのではなく、高校生だった当時の当時の僕の小遣いではディランまで手が回りませんでした。
高校1年からサイモン&ガーファンクルのLPを毎月買い集め始めた僕には、同時にディランの正規のレコード(確かCBSソニーのLPは2100円だったと思います)を買うには、お小遣いが足りません。


 安いレコードを手に入れるなら、今なら中古屋レコードなのでしょうが、当時僕の住む地方の都市には中古屋レコーがありませんでした。
また、貸しレコード屋も当時まだありませんでした。

 

  苦肉の策で、友達に誰か持っていないか聞いて回りました。
 なかなかいないんです、ディランのレコードを持っている友人が。
 当時一世を風靡していたディープ・パープルレッド・ツェペリンなどのハードロック系のバンドのレコードを友人は持っていましたが、僕らの中では、ディランはメジャーではありませんでした。
 そういえば、ノーベル文学書候補になっているディランですが、現在でも僕の周りでディランを聞いている人は、一人しか知りません。
 やはり聞き始めるのには、ディランは敷居が高いのでしょうか。


  一人だけいました、姉が持っているので、譲ってもいいという友人が。
 こうしてやっとディランのレコードを手に入れました。
 それが、ディランのセカンドLP「フリーホイーリン ボブ ディラン」でした。
 ディランの22歳の時の作品です。


  このアルバムのカバーは素敵でした。
 ディランと彼の当時の彼女スーズ・ロトロが腕を組んで仲良ニュー・ヨークの街並みを歩くものでした。
 プロテストソングを歌うディランとは少し印象が違っていました。


  そして、LPに針を落としてビックリ。
 冒頭の「風に吹かれて」はPPMのそれとは全然違いました。
 これが、あの「風に吹かれて」なのか!!!と。


  流れるようPPMの「風に吹かれて」とポツリポツリ吐き出すようなディランの「風に吹かれて」。
 曲としては、PPMに軍配があがるのでしょうが、メッセージ性からいうとディランでしょう。


  僕も、ディランを聴いて、初めてこの曲の歌詞の意味を考えるようになりました。
 何をディランは語ろうとしているのかと。


  ”Blowin' In The Wind ”

 Yes, 'n' how many years can some people exist
  Before they're allowed to be free?
 Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
  Pretending he just doesn't see?

 The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.


 当時英語もよくわからない高校生だったと思いますが、辞書を何度も引いたと思います。
 これがフォークだと当時感じたと思います。
 流れるような旋律もいいけれど、メッセージが更に大切だと、感じたんだと思います。


 このアルバムは、プロテストソングを歌うディランの評判にたがわず、「風に吹かれて」のに他にも、「戦争の親玉」「激しい雨が降る」「第三次対戦を語るブルース」など、プロテストソング満載でした。
またその作品のできが素晴らしかった。
 ギターとハーモニカで歌うディランの曲は力強く、心に響くのです。
 歌うというより、「叫ぶ」「語る」と言う言葉の方が近いかもしれません。


 他の音楽のように、曲がいいとか、アレンジがいいとか言った次元ではなく、とにかく心に響くのです。
 英語もまだまだ分からない高校生の僕にでも。


 LP全編ディランのギターとハーモニカで演奏されていたと長く記憶していたのですが、「コリナーコリナー」はピアノ・ベース・ベースなどがフィーチャーされていました。
 ディラン以外のギターもはいっていますが、さすがにアコースティックです。


 プロテストソングの中で、特に、6分を超える大作の「激しい雨が降る」には、とにかく驚きました。
 


 ”A Hard Rain's a-Gonna Fall”
  Oh, where have you been, my blue-eyed son?
  Oh, where have you been, my darling young one?
  I've stumbled on the side of twelve misty mountains,
  I've walked and I've crawled on six crooked highways,
  I've stepped in the middle of seven sad forests,
  I've been out in front of a dozen dead oceans,
  I've been ten thousand miles in the mouth of a graveyard,
  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, and it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.


 この曲は62年10月の「キューバ危機」の中で書かれたのですね。
 最近CDのライナーノーツを読み返して知りました。


  反面、このアルバムに「北国の少女」「くよくよするな」というラブソングが入っています。
 「北国の少女」の詩が、英国の民謡「スカボロー・フェア」から来ていることはすぐにわかりました。
 この曲を聴いた当時、サイモン&ガーファンクル(S&G)の「スカボロー・フェア/詠唱」とは随分ちがうなと感じていました。


 S&Gは民謡をそのまま使い、それにかぶせるようにポールのソロ作品「ザ・サイド・オブ・ヒル」から採った戦争反対のメッセージを被せていました。
 ディランは、そのままラブソング仕立てにしています。
 ディランは彼女が、川が凍る雪の中で、温かい服は着ているか、また、髪が胸まで伸びていて、カールしているか心配しています。


 この曲は、ディランは、「長い間頭にあった曲が急に現れた」と言っています。
 ビートルズのポールが「イエスタデ―」を書いたエピソードと同じですね。


「くよくよするな」は、ディラン自身はラブソングではないと言っているのをCDライナーノーツを読み返して知りました。
  夜明けに彼女をもとを去る男の歌だとばかり思っていまいしたが、ディランは「自分自身をもっと自由にできる」というメッセージを込めていると言っています。


 
ともかく高校一年の僕には刺激的なアルバムでした。