札幌オリンピック | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

 今ソチで、冬の熱い戦いが続いていますね。
羽生選手が今大会初の金をとりましたね。
ジャンプの高梨選手は4位で残念だったけど、これからです。


 
笠谷選手  冬季オリンピックで、音楽というと、「白い恋人たち」を思い出します。
桑田圭祐のシングル「白い恋人達」ではありません。
フランス グルノーブル大会の様子をフィルムに収めたクロード・ルルーシュとフランソワ・レシャンバック監督の 映画「白い恋人たち」のテーマソングです。


 このフランシス レイの音楽を中学生の頃、サントラ盤の全集でよく聞きました。
映画はTVで見たと思いますが、映像よりあの旋律が心に残ります。


 でも、冬季オリンピックそのものなら、日本人の僕のには、でもやはり、札幌オリンピックですね。
1972年でした。

札幌オリンピックでは、日本中の大きな期待に100%答えた「日の丸飛行隊」がまず思い浮かびます。

スキー 70メートル級ジャンプでのできごとでした。
(当時は現在のようにノーマルヒル・ラージヒルと言わずに、70メートル級・90メートル級ジャンプと呼んでいました)
冬季大会で初めての金メダル。それも笠谷選手の金、金野選手の銀、そして青地選手の銅の3つと並ぶのです。
(今でもこの三人の選手の名前はスラスラ出てきます。)
今日も、職場で僕より少し若い社員に尋ねたら、「日の丸飛行隊」は知っていました。


 
ジャネット リン  その次に思い出すのは、僕と同世代の安倍首相が先日ソチオリンピックの壮行会でコメントしていた、女子フィギュア スケートジャネット・リンですね。
安倍首相が彼女にラベレターを送って返事をもらったと自慢していましたね。

リンは「銀板の妖精」という言葉がぴったりでした。
ショートカット、それも金髪が、リンクを滑ると風になびくその姿が、僕たち中学生や高校生男子を釘付けにしてしまいました。
残念ならが、三位だったのですが、その人気は一位の選手の比ではありません。
その時の一位・二位の選手の名前も顔も覚えていませんが、ジャネット リンのあの笑顔は今も僕の心に浮かんできますし、
安倍首相を始め同年代の記憶に深く刻まれていると思います。


 その時の映像を最近ユーチューブで見ましたが、現在のフィギュアスケートのように、技術的難度の高い三回転ジャンプがあったりするわけではありません。
氷の上を、ただ滑るというような感じですね。
今ならこの程度なら、小学生でも演技してしまいそうですね。
時々浅田真央選手の小学生時代の滑りを、テレビで映しますが、技術的には、まさにあの程度ですね。
でもそのジャネットの笑顔とその姿は今見ても、いいですね。


 変わったところでは、アイスホッケーです。
日本は9位でしたが、僕のクラスの男子の間では、ほとんど初めて見るこの競技が大人気でした。
ルールも「アイシング」とか新しい言葉は覚えたものの、詳しくはわかりません、でもソ連やカナダのチームのその迫力に圧倒されました。
あのスピードとあのダイナミックさ。それまで見たスポーツの中では、別格でした。


 中学校の教室の中で、掃除用の箒をスティックに、雑巾か何かをパッドに見立て、アイスホッケーもどきの遊びをしていました。
それを先生に見つけられ、よく怒られていたのを思い出します。


 札幌オリンピックでスポーツ以外で思い出すのは、トワエモアの歌う「虹と雪のバラード」
トワエモアは、白鳥英美子芥川澄夫が当時組んでいた男女デュオで、「ある日突然」などのヒット曲がありました。
その二人が、札幌オリンピックの公式大会ソングとして、歌ったのがこの「虹と雪のバラード」でした。
まだオリンピックがビジネスに浸っていないこの時代の大会を様子をよく表しているような気がします。
(中学生の頃は、公式大会ソングと思っていたのですが、このエッセイを書くのに、Wikipediaで調べたらこの曲は公式ソングではなく、NHK「みんなのうた」の「札幌五輪のうた」のコーナーで流された曲なんですね。
それと、この曲はトワ・エ・モワ、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、スクールメイツなどの競作だったのですね。)


まだソチの大会は試合が残っています。
これからどんなドラマをみせてくれるのでしょうか。