今日はある友人のお誕生日です。
彼女とはある人を介して知り合ったので、
学校が一緒だったわけでも、
バイトが一緒だったわけでも、
習い事が一緒だったわけでも、
会社が一緒だったわけでもありません。
人との出会いって、どんなカタチで、いつ訪れるか分からないものですね。
でも、あらゆる人との出会いが、自分に大きなものをもたらしてくれます。
それこそ、お金には返られない、プライスレスなもの。
彼女も、私にそんなプライスレスなものをもたらしてくれた大切な人の一人です。
彼女が気づかせてくれたもの、それは生きるということそのものな気がしてます。
生きる意味。
ある人が前に言っていました。
「人はみんな死ぬんだ。死に向かって生きてるようなものなんだ。
死だけは、平等なんだよ」
と。
「そのことにどれだけの人が気づいているだろうか?」
と。
生きてると、ほんのささいな幸せに気づかなくて、
自分をよく見せようとしたり、守ることに必死になってしまいがちですよね。
けれど、終わりは必ずくるんです。
だったら、どんな自分になりたいですか?
どんな人生を送りたいですか?
自分に何ができるか、という応えはなかなか見つかるものではありません。
心の中でちょっと”やりたいな”と思うことがあっても、
”いや、自分には無理でしょう”って思ってしまうことがほとんど。
でも本当は、それじゃぁ生まれてきた甲斐がないってもんです。
自分の能力は、自分で決めるものじゃないんですよね。
日本には、周りと同等なレベルのことができて、
周りより少しだけ上手にできることが褒められるという、
そういう価値観が存在します。
だから、周りと歩調を合わせることを考えてるんですね。
生まれながらにそうです。
「うちの子はなかなかしゃべらないけど大丈夫なのかしら?!」
とか
「あの子ができるんだからあんたもできなきゃダメでしょ」
とか。
人より目立つ必要はない、ただ、人並みにできる。
そんな価値観を、親から教わってきたと思いませんか?
「おたくのお子さん、すごいですねぇ~!才能ありますよ!」
と、周りに褒められても、
「いぇいぇ、うちの子にかぎってそんな!ふつう、ふつう」
って応える親が多いとは思いませんか?
ふつう・・・って一体なんでしょう?
人ひとりの人生は、命は、とても価値があることなんです。
この世界にいる人、全てに、同じ時間の流れが存在しています。
1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間。
どんな偉人、賢人、有力者にも、同じ時間が流れてます。
例え名が知れていない人であっても、同じ時間が流れています。
これもまた、全ての人に共通なことですね。
そしてその一人ひとりのつながりで、この世界は成り立っているんです。
自分の存在をちっぽけに思ってませんか?
自分がしていることを、卑下していませんか?
日本では、自信をもつこと=嫌味と、捉えられているのもまた事実。
自信過剰という言葉も存在しますしね。
だけど、自分を信じられずに、誰のことを信じられるのでしょう?
よく、やりたいことが見つからないって聞きますね。
でも、私はそんなことないって思います。
見つからないんじゃなくて、探してないんじゃないかなって思います。
まぁ探しても見つからないともいうけど、
見つけても、色々と理由をつけて、「やりたいことなわけじゃない」って諦めてるように思えます。
自分を守るためです。
だけどね、自分を大切にすることも大切だけど、
でも、自分で大切にしたいって思える自分になれるかがもっと大切なんじゃないかな。
何年かかったっていいんです。
遠回りに思えることだって、実は遠回りなんかじゃなくて、
それはそういう道順だったってこと。
誰かと比べる必要なんかないんです。
同い年のみんなはこうしてるのに・・・
とか、
○○歳だからこうしなきゃ
とか、
そんなことを考える必要はないって思う。
やってみよう!
そう思ったその気持ちが、その人の能力。
天才は、それを越えるけれど、
でも、そういう気持ちが、本当に、一番大切なんだと思う。
それはお金には代えられないもの。
我慢して、与えられた仕事をして、我慢料というお給料をもらうことが本当の幸せ?
それよりも、もっと自分と向き合って、
本来の自分の姿、なりたい自分の姿を見つめなおすこと。
仕事は、自己表現の手段です。
探さないと見つかりません。
焦る必要はないから、じっくりと探してみること。
面倒でも、どうすればいいのかわからなくなったりもするけど、
でも、自分と向き合うこと。
今日誕生日を迎える友人は、そんな時間を今過ごしていると思います。
きっと、生きていてよかったと、
彼女は誰よりも思う日がくると思う。
あひるちゃん、私はあなたに出会えてよかったよ。
あなたのおかげで、私も、色んな自分をわかるようになりました。
素敵なお誕生日を過ごしてね。