私、今まで「情けをかけることは、結局はその人のためにならない(のですべきではない)」という意味だと思っていました。
本当は「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」という意味だそうで…
希望的なことわざですねぇ。
“誰にでも親切にする”ということは、
教会内でよく言われる“為に生きる”ということと同じですね。
でも、“いずれは巡って自分に返ってくる”という考え方はちょっと捨てた方がいいかなと思います。
神様の願う幸せは、「与えて忘れる真の愛」です。
見返りを求めるジコチュー(自己中心)の心を捨てて、カミチュー(神様中心)生活。
そうした中で得られるものが本当に貴いのかもしれません。
今日の聖歌隊の練習は、発声練習から楽しかったです。
動機が「神様を讃美する」という方向に向かっていれば、発声練習も讃美になるのかもしれません。
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