礼拝のみ言と讃美と… | Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

たけにむが求めていくぷちプチしあわせさがしの旅。ぷちプチしあわせも積もれば山となる。

今日の礼拝讃美に向かっていく時に訓読したみ言です。

助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。
その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。
ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。
天が「十を助けなさい」と言うのに、五しか助けないのでは駄目です。
「十を与えよ」と言われたら、百を与えるのが正しいのです。
人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。

讃美していく中で、各パート、兄弟姉妹が支え合うことのできる讃美をして、
礼拝堂全体が神様に向けた讃美ができますようにと、このみ言を訓読させていただきました。


今日の礼拝の説教題は「青年よ、大志を抱け」でした。
その中で語られた聖書の聖句と文鮮明先生の自叙伝の一説を紹介させていただきます。

イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは1コドラントに当たる。
そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである。」
(マルコによる福音書12章41~44より)

 ある日、英語の勉強を熱心にしている学生がいたので、私は尋ねました。
「何のためにそんなに熱心に英語の勉強をしているのか」
と言うと、その子が答えました。
「大学に行くためです」
 このように愚かなことがどこにありますか。
大学は目的ではありません。
大学は、何々の目的でどんな勉強をしなければならないというときに行く所であって、それ自体が目的にはなり得ません。
 また、お金をどのくらい稼ぐかを人生の目標に掲げないでください。
私は今まで、月給を一銭ももらったことがありません。
それでも、私はこのようにご飯を食べて生きています。
お金は何かをするための手段なのであって、目標ではありません。
お金を稼げば使い道がなければなりません。
目標もなくお金ばかりを手にすれば、そのお金は必ず無駄に消えていってしまいます。
 職業は、全面的に自分の素質と趣味に沿って決定しなければなりません。
消防士になろうと、農民になろうと、サッカー選手になろうと、政治家になろうと、それは皆さんの心次第です。
私がお願いしたいのは、職業を超えた話です。サッカー選手になってどのような人生を生きるのか、農民になってどのような人生を生きるのかを尋ねているのです。
 志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです。
農民になろうと思うなら、新しい農法を研究しながらより良い品種を作り、人類の飢餓問題を解決するという志を立てなければなりません。
サッカー選手になるにしても、自国の名を世界万邦に轟かせ、サッカーをやりたくてもできない子供たちのためにサッカー教室を開き、彼らの夢を育てたいという意味のある志を立てなければなりません。
 世界的なサッカー選手になろうとすれば、血のにじむような訓練を経なければなりません。
しかし、もし皆さんの心に抱いた志が明確でなければ、世界の頂点に立つまでのつらい訓練に耐えることができません。
志があってこそ、自分を守っていく力が湧き、特別な人生を生きていくことができるのです。


それから、今日の礼拝では、以前から中心に願われていた曲を初めて讃美させていただきました。
あなたはどなたに「ありがとう」と伝えたいですか?


クリックお願いします
にほんブログ村 その他日記ブログ 気ままへ
にほんブログ村