これは恋、なのだろうか。

近頃見る夢の共通項、それは彼が必ず出てくるというものだった。

気が付いた時には愕然とした。

その夢はどこか甘美で、幸せで。

同時に耐え難いほどに胸が苦しく、漠然と思い出すたびに激しく感情が揺さぶられる。

目覚めと共にほとんど曖昧になってしまう夢の内容。

まるで両手で掬い上げた砂のようにさらさらと音もなく消えてゆくそれはとても淡くて、儚くて。

決して記憶に留まっていてはくれない。

―――しかし、その日の夢だけははっきりと覚えていた。

忘れたくても忘れようがないほどに、記憶の深いところに刻まれてしまったらしい。

いつも通り起き上がってベッドに腰をかける。膝の辺りに水滴が落ちてきた。

・・・まさか、泣いているというのか。この僕が、夢ごときで。

湧き上がる想いと、溢れ出す涙が止まらない。どうしようもなかった。

とうとう気づいてしまったのだ、自分の中で見てみぬふりをすることによって精神の均衡を保っていた

激しい感情に。

回らない頭で夢の回想を試みた。

心の奥が軋んで、ひどく痛かった。

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「古泉、お前今日俺んち寄っていけよ」

「・・・おや、これは驚きですねえ。あなたのご自宅に僕だけをお招きいただけるとは、どういった風の吹き回しでしょう?」

「どうもこうもないぜ。あまり気乗りはしないんだが、ちょっとお前に課題のことで聞きたいことがあってな。他に用事があれば無理にとは言わないが」

「いえ、今日は特に何も。わかりました、ではお邪魔させていただきます」

「悪いな、夕飯ご馳走するから」

本当に驚いた。彼はいつも僕を邪険そうに扱うから、頼りにされているなんて微塵も思っていなかったので正直少し嬉しかった。彼の自宅に伺うのはこれで2回目のはずなのに、今回は二人きりだということを思うと一瞬胸がとくん、と鳴った。なんだろう、今のは。なぜか微妙に身構えてしまう自分がそこにいた。

彼の様子をそっと伺うと至っていつも通りだ。

自分もいつも通りにしていればいい、何も問題はない。

「お邪魔します。ご両親は?」

「今親いないから、そんな畏まらなくていいぞ。何か飲み物持ってくから、先に部屋行っててくれ」

「そんな、手伝いますよ」

「だーっ、お前は客なんだから気い遣わなくていいって。早く行ってろ」

その言葉に甘えさせてもらい、部屋に上がらせてもらう。

いつ来ても小奇麗でさっぱりとしたシンプルな部屋は、彼の性格を如実に現しているかのようだ。

小さいテレビに、ポピュラーなテレビゲーム。床に置いたままのソフトは、彼が今プレイ中のものだろう。

人気タイトルのアクションゲーム。アナログゲーム以外持っていない自分にとって、それは新鮮な感じがした。

・・・こちらのゲームなら練習すれば彼に勝てるだろうか。

荷物を置き、部屋の中央にある小さめのテーブルの側に腰を降ろした。

本棚、机、全身鏡、サイドボード。らしくもなくキョロキョロとしてしまう。なんだか落ち着かない。

この空間で彼はプライベートの時間の大半を過ごしているのだ。

そんな大切なプライベート空間に僕が踏み込む権利をいとも簡単に許してくれる彼。

信用・・・されているのか。くすぐったいような、微妙に誇らしいような不思議な気分だ。

次に目に入ったのは、寝台。ほんの乱れもなく、とまでは言わないがきちんとしてある。

少なくとも起きたままの状態ではない、彼の母上が直してくれているのだろうか。

あのベッドで彼は本を読んだり、眠ったり、そして時々・・・

「わりぃ、待たせた。ウーロン茶でいいよな?」

「え、ええ。お気遣いなく。ありがとうございます」

なんという想像をしていたのか、僕は。

脳内で再生された不埒な映像を断ち切るようなタイミングで彼が入ってきた。

・・・どうかしている。

「で、課題なんだが、数学の課題集でさ。どうしても解けないんだよな、これ。お前のクラスはもっと難しいの使ってるんだろうから楽勝だろ?ささっと解き方教えてくれよ」

「あ、はい。ですが一度僕も解いてみなければ教えようがありませんので、少し待っていただけますか?」

「わかった。んじゃあ俺はその間別な課題やらせてもらうぜ」

ミニテーブルの反対側に彼が腰を降ろした。

近い。彼との距離が近い。向かい合わせなんて、部室の机で慣れているはずなのに。

学校に居るときとは比べ物にならないほどに距離が近い。テーブルが小さいためだ。

足を伸ばしたりなんかしたら間違いなく触れてしまう距離だ。

一度意識しだすと、どうだろう。ささいなことに神経が行ってしまう。

時々唸りながら、英語の課題を解いている彼。

綺麗な髪をしている。自分のように色素の薄いそれではなく、黒々として美しい。

すっと通った鼻筋に、意志の強そうな瞳。理路整然と自分の考えを伝える口元。

「ん、どうした?」

「いえ、何でも・・・すみません」

まずい。思わず彼を凝視してしまっていた。

もう見るまいと問題集に目を落とす。・・・こんどは、聴覚が冴え始めた。

彼の息遣いが、ときどき漏らすつぶやきが、なぜか逐一気になってしまう。何故だ?

集中、できない。まがりなにも理数特進クラスにいるはずなのに、普通科の数学の問題が解けない。

おかしい。そうだ、多分酸素が足りていないからこんなにぼうっとしてしま・・・

「おい、古泉。暑かったら冷房つけるか?顔赤いぞ」

気づいたら心配そうに自分を見つめる彼の黒い瞳がそこにあった。

ああ、どうしてそんなに真っ直ぐに僕のことを見るのだろう。

この純粋さが羨ましくて、憎くて、妬ましくて。そして・・・ああ。僕は。

「・・・!」

気が付いたら彼を引き寄せて、その唇を奪っていた。

触れる直前の驚いた彼の表情に気持ちが昂ぶり、止まらない。

「おまえ、暑さで頭やられたのか?離・・・せ、おいっ・・・」

すぐに離れようと思ったのに欲望は留まることを知らない。

まるで自分自身の意志とは関係ないかのごとく、暴走する。

嫌がる彼の両唇をこじあけて、舌をねじ込む。

欲望に身を任せて、長い時間をかけて彼の口内を思う存分蹂躙する。

甘い、溶けてしまいそうだ。いっそのことこのままここで溶けてしまえたのならどんなにか幸せだろう。

「こいず、み・・・も、やめっ・・・苦し・・・」

声にならない声を上げる彼。もしかしなくても初めてだったのだろうか。

彼の口元から溢れる透明な液体を啜り上げ、ゆっくりと離れた。

その水音にすら興奮を覚える。自分はきっとどうにかしてしまったのだ。

『神』にとっての最重要人物に手を出すなんて。機関にばれたら始末書なんかじゃ済まされない。

「今日のお前、おかしいぞ。なんのつもりだ、あんなことして」

僅かに潤んだ瞳、蒸気した頬。離れたばかりの彼の側へ行き、渾身の力で抱きしめる。

「ええ、そうですね。どうやら僕はおかしくなってしまったみたいです。貴方のことが、愛しくて愛しくてたまらない。汚れのない貴方を、この手でめちゃくちゃに犯してしまいたい。そう考えています」

腕の中の身体が僅かに強張った。

・・・ああそうか、この人は今僕に怯えているのか。それはそうだ、だって僕自身自分が今なにをしでかすのかわからない状態なのだから。彼はもっと怖いに決まっている。わかっているのに抑えることができない、この黒い感情。本当に、どうかしている。

「・・・俺の気持ちとか、そういうのは全部無視かよ」

搾り出すような彼の声には耳を貸さず、強引にその体を床に押し倒した。

先程のそれとは比べ物にならないほどに激しい噛み付くような口づけを繰り返しつつ、荒々しく彼のネクタイを解き、ワイシャツをひきちぎる。

苦痛に歪んだ彼の表情。乱れた息。そして、心底哀しげな瞳が僕を射抜いた。

・・・それは、まるで僕を哀れむかのようにも見え、軽い絶望を感じた。

「古泉、俺は・・・」

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・・・そうだ、ここで目が覚めたのだ。

なんという、救いようのない夢。もうこれ以上自分をごまかす術を僕は知らない。

彼を想ってどうしようというのだろう。

いくら想ったところで彼は同性に好意を寄せるような性質は持ち合わせていないし、万が一そうであったとしても彼を手に入れることは世界の破滅と同意義だ。

機関の一構成員として、決して許されない行為。

これが夢でよかったと、心底思った。

同時に、夢の中ですら機関のことを考えてしまう自分に失望した。

結局、自分は歯車の一部としてしか生きることはできないのだ。

『神』と彼がうまく行くように祈り、日々観察して平和を守る。

それが自分の仕事ではなかったか。

それなのに、なぜ。なぜ彼なのだろう。

生まれて初めてこんなに強い執着を持ってしまった人間が、どうして彼でなくてはならなかったのだろう。

「夢」の内容を思い出すと、彼に対する複雑すぎてうまく言い表すことのできない感情が洪水のように胸に押し寄せてきて潰されそうになる。欲望、憎しみ、愛しさ、破壊衝動、羨望・・・こんなにも多くの気持ちが混じった感情を他人に抱いたことなんてなかったのに。

考えれば考えるほど無意味で、深みに嵌って、抜け出せなくなってしまう。

この感情を恋と呼ぶには、あまりに救いがない気がして。

そして、また絶望するのだ。






タイトルと最後の言葉で書いている時のBGMわかった方、いらっしゃいますかね?

お友達にもらった良曲で「ああ、これは報われない古キョンでいくしかないな」と。

話のつじつまがうまく合わせられない自分の力量のなさに糸色望しそうです。