「もし、明日で世界が終わりを迎えるとしたならば、あなたはどうします?」


いつもの通り放課後の部室でチェスをしていると、古泉が突然そんなことを言い出した。

なんだ、やぶから棒に。俺の注意をゲームから逸らす作戦か?


「さあな、そんなの来てみなけりゃわからんな。考えたこともない」

「ですから、仮定ですよ仮定。もしも、の話です」


いつものスマイルでそう話すそいつには、不安のかけらも見られなかった。

ということは今すぐ世界の崩壊やらは起こらないのだろう、少し安心した。

・・・じゃあ、こいつはなんだって俺にそんなこと聞いて来るんだ?

そう思いながらも、適当に答えてやろうとする俺はなんて優しいんだろうね。

たまにはこいつのお遊びに乗ってやるとするか。


そうだな・・・その世界の終わりってのはどうしても止められないんだろう?

ええ、とにこやかにうなずく古泉。笑うところか?それ。


「だとしたら、残りの一日を悔いなく過ごすことくらいだな。もし俺たちしかその世界崩壊の事実について知りえないんだったら、敢えて周りに教える必要もないから・・・そうだな。いつも通り普通に学校に行って、適当に授業に出て谷口や国木田と飯を食いながら馬鹿話をする。そんで、放課後にはこの部室に来て朝比奈さんのお茶を飲みつつお前とゲームしたり、ハルヒのトンデモ計画に耳を傾けたりしているうちに長門が本を閉じて解散。家に帰ったら飯食って風呂入ってだらだらしながら眠りに就くだけだ」


それで本当にいいのですか、と言わんばかりの微妙そうな表情を浮かべる古泉。

なんだ、じゃあ他にどうしろというんだ?だって、そうだろ。

俺たちにできることがないのならば、じたばたしたり絶望の内に身を沈めていたって仕方ない。

ならば、最後の一日はできるだけいつも通りの『日常』を過ごしたほうがいい。

学校へ行き、友人と会い、家に帰って家族と最後の時間を過ごす。それが一番幸せだと俺は思うんだがな。


「で、お前ならどうするんだ?」

「僕は・・・」


なんだ、おかしなところで言いよどんだりしないでさっさと言えよ。こんな空想のお遊びにおいて、何を躊躇するようなことがあろう?こいつらしくもない。


「僕は、あなたを連れ去ってどこか遠くへ行きたい。そして、二人っきりで世界の終焉を迎えたい」


・・・なんの冗談だ、それは。それはお前の彼女にでも言っておいたらどうだ?


「本気でおっしゃってるのですか、こないだのあれをもう忘れたとでも?」

「お・・・まえ、冗談だって自分で言ってただろうが」


ああ忌々しい。『あれ』と言われただけですぐに答えが思い浮かんでしまった自分が。

こいつにファーストキス(まあ正確にはファーストではないが)を奪われそうになったのは、つい先日のできごとだった。


「あは、あなたはやはり純粋な人だ。僕が冗談と言ったその言葉を信じていてくれたのですね。しかし、残念ながら僕は冗談や酔狂で同性に口づけができるような人間ではありません。困ったものです」


そう言いながらちっとも困った顔をしていない。しかし、なぜだろうな。冗談ではなかったと聞いて、妙に胸の奥が温かい・・・気がする。気がするだけだ!!


「この間は冗談で終わらせようとして失礼しました。僕は、真剣にあなたのことを愛しています。ですから・・・この世界の終焉はどうしてもあなたと迎えたい。全てが滅び行く瞬間、あなたさえ傍に居てくれさえすればそれでいい。そう思っています」


完全にチェスの手が止まった古泉がそう話した。どこか、諦めたような遠い目をして。


「古泉、お前が何を考えてるか知らんがこの世界はまだ終わりなんかしない。お前ら機関の『神』はハルヒなんだろ?あいつは世界の終わりなんか望んじゃいない。文化祭も終わったばかりだし、これから冬が来る。クリスマスや正月、スキーにスノーボード。楽しいイベントが目白押しだ。まだまだSOS団のメンバーと遊び足りない、そうだろう?」


だから、そんな思いつめたような、悲しそうな表情(かお)をするな。

俺より体格が(若干)がっしりしているはずの古泉の肩がやけに弱弱しく見えて、俺は思わず席を立ってあいつの肩を抱きしめるという愚行に走ってしまった。


「!!」

一瞬驚いた様子を見せた古泉は、頭を抱えてやると大人しくなった。

「ここには、長門もいるし・・・少し頼りないが朝比奈さんも俺もいる。そう簡単に滅びるほど世界は安くねえぞ。それに・・・俺よりずっと頼りになるお前が弱気でいてどうするよ。なあ、副団長」

「・・・ひどいですね。僕の気持ちには答えてくれないくせにそんな優しい言葉をかけるなんて。あなたは意外とひどい人だ」

「今更知ったのか?」


覗き込んだこいつの顔は、泣くことも笑うこともできないような非常に中途半端な表情になっていた。

今まで見たこともない表情ばかりするもんだからなんだか古泉がいきなり人間くさく見えてきて、俺はそのさらさらの茶髪をそっと撫でてやった。


俺の気持ちを知りたいと思ってるくせに、答えてほしいと思ってるくせに、世界が終わる話なんてするなよな。

全く、こいつは器用そうに見えて実は不器用なんじゃないのか?


・・・不器用なのは俺も一緒か。要するに俺たちは似たもの同士だってことだ。

こいつを抱きしめる腕も、柔らかな髪を撫でる手も離す気はさらさらないのに、肝心なことは言ってやれない。



「まあ、世界が終わりを迎える一時間位前からならお前と二人で居てやってもいいぞ」


やっぱりひどい人だ、と古泉が笑う。

そんな日が来ることは絶対にないから言えるんだぜ、と心の中でモノローグを一つ。



言葉の代わりに俺はそっと、こいつの前髪に口づけを落とした。

いつもの放課後。

すでに部室通いが習慣となった俺は、いつも通り元文芸部部室へと足を運んでいた。

「どうぞ」


これまたいつも通りドアをノックすると、一瞬の後に忌々しいほどの爽やかな声が聞こえてきた。

言うまでもない。これは年中無休のスマイル野郎・古泉一樹のものである。


「おや、今日は珍しく遅かったですね。涼宮さんはどちらへ?」

あいにく今日は席替でHRが長引いたものでな。ハルヒは掃除当番だ。

…と、今来てるのはこいつだけか。

「どうやら長門さんも朝比奈さんもまだのようです。久々にオセロでもいかがですか」
ナチュラルに思考を読むな、全く。


特に断る理由もないので、俺はどさっと鞄を下ろして古泉の向かい合わせの席に座る。

この席が俺の指定席になって早半年。

時の流れというものはどうしてこう早いのだろう。ついこないだまで使っていた扇風機も、もう用済みだ。

半分開け放った窓から涼しい風が吹きこみ、校庭の木々もすっかり紅く色づいている。…秋だ。


俺が黒、古泉が白を選び、古泉に先手を打たせることにした。

最初は互角な勝負だったのに、気が付いたらいつの間にか盤面はほとんど黒一色で染まっていた。

全く、ノーレートにしておいてよかったぜ。それにしても。


「お前、ホントゲームに弱いよな」

「はは…貴方が強いのですよ。僕はとてもではないですが勝てそうにありません」

「お前は特進だから俺よりも頭はいいはずだ。ひょっとしてわざと負けてるなんてことはないよな?」

「あは…失礼。貴方もおかしなことを言う人だ。僕がわざと自分からゲームに負けて、一体なんの得があるというのでしょう」

うむ、それを言われると確かに返す言葉がない。しかしだな…やはりおかしくないか?

「おや、その視線はどうやら疑っているようですね。
半年経った今でも、貴方は僕の言う言葉を信用できないのですか?悲しいものです」


言葉の割にはちっとも悲しそうに見えないぞ、おい。

いつものハンサムスマイルが余計うさんくさく見えるぜ。

「さあな。時と場合にもよるが、お前の言葉は当てにならないことが多すぎる。

だいたいそんなスマイル全開で悲しい、などと呟かれても誰が信じることができよう」

じっと古泉の目を見る。俺のそれより色素の薄い瞳は、たじろぐことなく真っ直ぐに俺を見ている。

もちろん笑みを浮かべたままで。…なんだ、この間は。言いたいことがあるならさっさと言え。

「では貴方は、僕が笑ってさえいなければ僕の言うことを信じてくれますか」

いつもの表情からスマイル成分を50%位オフにして古泉が言った。

正直、俺はこいつの笑っていない顔などほとんど見たことが無い。

こいつのスマイルはデフォルトだからな。


「それもわからん。さっきも言ったが時と場合によると…」

「僕は貴方に特別な感情を抱いています。もうずっと前から」

…は?唐突に何だ?すまん、意味がよく…

「わかりやすく言うと、貴方のことを愛しています。貴方の全てを、自分の手に入れたいほどに…」

笑ってない。目が笑ってねえ。至って真剣な表情で、古泉はそう言った。

やはり俺の目を真っ直ぐ見つめたままで。

不覚にも、たったの一瞬だけ、どきっとさせられてしまった。ジョークに決まってんのにな、こんなの。

「古泉、すまん。俺が悪かった。笑顔はいいとして冗談は休み休み言ってくれ」

「冗談に聞こえますか?では、今言ったことが冗談ではないことを証明してみせましょう」

ほんの少しだけいつもの笑みをとりもどした古泉にちょっぴり安堵する。

…て、今、何て言った?!証明?何の?

「すまん、本気で意味がわかんねっ…」

そう言い掛けて、机の反対側から腕を強い力でぐいっとひっぱられ上半身が前のめりになった。

なおも俺を見つめていた古泉は、徐々に顔を近づけてきやがった。

「かおが近い!近いっつの!なにしやがる」

「ですから証明を…」

古泉の左手が俺の右の頬に触れた。これはいわゆる一つの危機的状況ってやつじゃないか?おい!

触れられた頬が妙に熱い。古泉の静かな吐息と甘い髪の匂いにくらくらする。

もう顔が近いなんてもんじゃない。やつの前髪が完全に俺の額に触れている。

何故だ、振り払うこともできるはずなのに…身動きが、とれない。


「やほーっ!!遅れてゴメンっ」

俺と古泉の距離がまさに0になろうとした瞬間、我らが団長様がけたたましく部室へ入っていらっしゃった。これはなんというか、いろいろな意味で誤解を招く体勢じゃないか?

「あれ?キョンと古泉君だけ?二人とも何してんの?」

「こんにちは、涼宮さん。彼が目にゴミが入って取れないというので、見てあげていたのですよ」

一瞬にしてなんというフォローができるのだ、お前は。全く感心するぜ。

「ほんっと、キョンったらどんくさいわね。そんなもん泣けばすぐ取れるのよ!あくびでもしときなさい。

あ、あたしコピー室にちょっと用事があるから鞄よろしく!」

そう一気に捲し立ててまたもやハルヒは急ぎ足で部室を出て行った。


「…お前、どういうつもりだ。ハルヒにもし見られていたらどう説明する気だった?

しかもさっきのあれ…正気か?俺のことが…どうとか」

そう言って見上げた古泉は、すっかりいつもの笑顔に戻っていた。

「すいません、貴方があんまりなことを言うものですからちょっとからかってみたくなりまして

…ちょっとした出来心ですよ、気分を悪くされたのなら謝ります。すいませんでした」

…ああそうかい。お前は冗談で誰にでもあんなことができるのかよ。何故か沸々と怒りが湧いてきた。


「…はぁ。ふざけるにも限度ってものがあるだろ。お前の場合、ふざけているのかマジなのかわかんねえんだよ」

「ふふ。笑っているから信用できないだとか、真面目な顔をして冗談を言うなとか、貴方もなかなか難しい方ですね。…おっと、僕は急用が入ってしまいましたのでこれで失礼させていただきます。すみませんが涼宮さんによろしく伝えておいてください。では」

「ちょ、待てよ!話はまだ終わってないぞ!!」

そう叫んだ声もむなしく、古泉はさっと鞄を取り俺に一礼して軽やかに部室を去って行った。


さっき、鳴ってたか?あいつの携帯。バイブにしてるのかもしれんが俺には聞こえなかった。

それに、どうすんだよこれ。使ったゲームを片付けて行かないなんてあいつらしくもない。

――――なんであんなことを。

『冗談』を語っていた時のやつの目は真剣そのものだった。

「・・・冗談なんかに聞こえるかよ」

あれはただの古泉流のジョークに過ぎない。

わかりすぎるくらいに頭の中ではわかっているのに、やけに鼓動が早い。

左の頬が未だに熱をもって一向におさまる気配がない。


…ちくしょう。なんなんだよ、一体。

これは恋、なのだろうか。

近頃見る夢の共通項、それは彼が必ず出てくるというものだった。

気が付いた時には愕然とした。

その夢はどこか甘美で、幸せで。

同時に耐え難いほどに胸が苦しく、漠然と思い出すたびに激しく感情が揺さぶられる。

目覚めと共にほとんど曖昧になってしまう夢の内容。

まるで両手で掬い上げた砂のようにさらさらと音もなく消えてゆくそれはとても淡くて、儚くて。

決して記憶に留まっていてはくれない。

―――しかし、その日の夢だけははっきりと覚えていた。

忘れたくても忘れようがないほどに、記憶の深いところに刻まれてしまったらしい。

いつも通り起き上がってベッドに腰をかける。膝の辺りに水滴が落ちてきた。

・・・まさか、泣いているというのか。この僕が、夢ごときで。

湧き上がる想いと、溢れ出す涙が止まらない。どうしようもなかった。

とうとう気づいてしまったのだ、自分の中で見てみぬふりをすることによって精神の均衡を保っていた

激しい感情に。

回らない頭で夢の回想を試みた。

心の奥が軋んで、ひどく痛かった。

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「古泉、お前今日俺んち寄っていけよ」

「・・・おや、これは驚きですねえ。あなたのご自宅に僕だけをお招きいただけるとは、どういった風の吹き回しでしょう?」

「どうもこうもないぜ。あまり気乗りはしないんだが、ちょっとお前に課題のことで聞きたいことがあってな。他に用事があれば無理にとは言わないが」

「いえ、今日は特に何も。わかりました、ではお邪魔させていただきます」

「悪いな、夕飯ご馳走するから」

本当に驚いた。彼はいつも僕を邪険そうに扱うから、頼りにされているなんて微塵も思っていなかったので正直少し嬉しかった。彼の自宅に伺うのはこれで2回目のはずなのに、今回は二人きりだということを思うと一瞬胸がとくん、と鳴った。なんだろう、今のは。なぜか微妙に身構えてしまう自分がそこにいた。

彼の様子をそっと伺うと至っていつも通りだ。

自分もいつも通りにしていればいい、何も問題はない。

「お邪魔します。ご両親は?」

「今親いないから、そんな畏まらなくていいぞ。何か飲み物持ってくから、先に部屋行っててくれ」

「そんな、手伝いますよ」

「だーっ、お前は客なんだから気い遣わなくていいって。早く行ってろ」

その言葉に甘えさせてもらい、部屋に上がらせてもらう。

いつ来ても小奇麗でさっぱりとしたシンプルな部屋は、彼の性格を如実に現しているかのようだ。

小さいテレビに、ポピュラーなテレビゲーム。床に置いたままのソフトは、彼が今プレイ中のものだろう。

人気タイトルのアクションゲーム。アナログゲーム以外持っていない自分にとって、それは新鮮な感じがした。

・・・こちらのゲームなら練習すれば彼に勝てるだろうか。

荷物を置き、部屋の中央にある小さめのテーブルの側に腰を降ろした。

本棚、机、全身鏡、サイドボード。らしくもなくキョロキョロとしてしまう。なんだか落ち着かない。

この空間で彼はプライベートの時間の大半を過ごしているのだ。

そんな大切なプライベート空間に僕が踏み込む権利をいとも簡単に許してくれる彼。

信用・・・されているのか。くすぐったいような、微妙に誇らしいような不思議な気分だ。

次に目に入ったのは、寝台。ほんの乱れもなく、とまでは言わないがきちんとしてある。

少なくとも起きたままの状態ではない、彼の母上が直してくれているのだろうか。

あのベッドで彼は本を読んだり、眠ったり、そして時々・・・

「わりぃ、待たせた。ウーロン茶でいいよな?」

「え、ええ。お気遣いなく。ありがとうございます」

なんという想像をしていたのか、僕は。

脳内で再生された不埒な映像を断ち切るようなタイミングで彼が入ってきた。

・・・どうかしている。

「で、課題なんだが、数学の課題集でさ。どうしても解けないんだよな、これ。お前のクラスはもっと難しいの使ってるんだろうから楽勝だろ?ささっと解き方教えてくれよ」

「あ、はい。ですが一度僕も解いてみなければ教えようがありませんので、少し待っていただけますか?」

「わかった。んじゃあ俺はその間別な課題やらせてもらうぜ」

ミニテーブルの反対側に彼が腰を降ろした。

近い。彼との距離が近い。向かい合わせなんて、部室の机で慣れているはずなのに。

学校に居るときとは比べ物にならないほどに距離が近い。テーブルが小さいためだ。

足を伸ばしたりなんかしたら間違いなく触れてしまう距離だ。

一度意識しだすと、どうだろう。ささいなことに神経が行ってしまう。

時々唸りながら、英語の課題を解いている彼。

綺麗な髪をしている。自分のように色素の薄いそれではなく、黒々として美しい。

すっと通った鼻筋に、意志の強そうな瞳。理路整然と自分の考えを伝える口元。

「ん、どうした?」

「いえ、何でも・・・すみません」

まずい。思わず彼を凝視してしまっていた。

もう見るまいと問題集に目を落とす。・・・こんどは、聴覚が冴え始めた。

彼の息遣いが、ときどき漏らすつぶやきが、なぜか逐一気になってしまう。何故だ?

集中、できない。まがりなにも理数特進クラスにいるはずなのに、普通科の数学の問題が解けない。

おかしい。そうだ、多分酸素が足りていないからこんなにぼうっとしてしま・・・

「おい、古泉。暑かったら冷房つけるか?顔赤いぞ」

気づいたら心配そうに自分を見つめる彼の黒い瞳がそこにあった。

ああ、どうしてそんなに真っ直ぐに僕のことを見るのだろう。

この純粋さが羨ましくて、憎くて、妬ましくて。そして・・・ああ。僕は。

「・・・!」

気が付いたら彼を引き寄せて、その唇を奪っていた。

触れる直前の驚いた彼の表情に気持ちが昂ぶり、止まらない。

「おまえ、暑さで頭やられたのか?離・・・せ、おいっ・・・」

すぐに離れようと思ったのに欲望は留まることを知らない。

まるで自分自身の意志とは関係ないかのごとく、暴走する。

嫌がる彼の両唇をこじあけて、舌をねじ込む。

欲望に身を任せて、長い時間をかけて彼の口内を思う存分蹂躙する。

甘い、溶けてしまいそうだ。いっそのことこのままここで溶けてしまえたのならどんなにか幸せだろう。

「こいず、み・・・も、やめっ・・・苦し・・・」

声にならない声を上げる彼。もしかしなくても初めてだったのだろうか。

彼の口元から溢れる透明な液体を啜り上げ、ゆっくりと離れた。

その水音にすら興奮を覚える。自分はきっとどうにかしてしまったのだ。

『神』にとっての最重要人物に手を出すなんて。機関にばれたら始末書なんかじゃ済まされない。

「今日のお前、おかしいぞ。なんのつもりだ、あんなことして」

僅かに潤んだ瞳、蒸気した頬。離れたばかりの彼の側へ行き、渾身の力で抱きしめる。

「ええ、そうですね。どうやら僕はおかしくなってしまったみたいです。貴方のことが、愛しくて愛しくてたまらない。汚れのない貴方を、この手でめちゃくちゃに犯してしまいたい。そう考えています」

腕の中の身体が僅かに強張った。

・・・ああそうか、この人は今僕に怯えているのか。それはそうだ、だって僕自身自分が今なにをしでかすのかわからない状態なのだから。彼はもっと怖いに決まっている。わかっているのに抑えることができない、この黒い感情。本当に、どうかしている。

「・・・俺の気持ちとか、そういうのは全部無視かよ」

搾り出すような彼の声には耳を貸さず、強引にその体を床に押し倒した。

先程のそれとは比べ物にならないほどに激しい噛み付くような口づけを繰り返しつつ、荒々しく彼のネクタイを解き、ワイシャツをひきちぎる。

苦痛に歪んだ彼の表情。乱れた息。そして、心底哀しげな瞳が僕を射抜いた。

・・・それは、まるで僕を哀れむかのようにも見え、軽い絶望を感じた。

「古泉、俺は・・・」

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・・・そうだ、ここで目が覚めたのだ。

なんという、救いようのない夢。もうこれ以上自分をごまかす術を僕は知らない。

彼を想ってどうしようというのだろう。

いくら想ったところで彼は同性に好意を寄せるような性質は持ち合わせていないし、万が一そうであったとしても彼を手に入れることは世界の破滅と同意義だ。

機関の一構成員として、決して許されない行為。

これが夢でよかったと、心底思った。

同時に、夢の中ですら機関のことを考えてしまう自分に失望した。

結局、自分は歯車の一部としてしか生きることはできないのだ。

『神』と彼がうまく行くように祈り、日々観察して平和を守る。

それが自分の仕事ではなかったか。

それなのに、なぜ。なぜ彼なのだろう。

生まれて初めてこんなに強い執着を持ってしまった人間が、どうして彼でなくてはならなかったのだろう。

「夢」の内容を思い出すと、彼に対する複雑すぎてうまく言い表すことのできない感情が洪水のように胸に押し寄せてきて潰されそうになる。欲望、憎しみ、愛しさ、破壊衝動、羨望・・・こんなにも多くの気持ちが混じった感情を他人に抱いたことなんてなかったのに。

考えれば考えるほど無意味で、深みに嵌って、抜け出せなくなってしまう。

この感情を恋と呼ぶには、あまりに救いがない気がして。

そして、また絶望するのだ。






タイトルと最後の言葉で書いている時のBGMわかった方、いらっしゃいますかね?

お友達にもらった良曲で「ああ、これは報われない古キョンでいくしかないな」と。

話のつじつまがうまく合わせられない自分の力量のなさに糸色望しそうです。