自分と対話すること、もう耳にタコが出来て、言われるほどにウンザリするほど。

 

なのに、本当の意味を分かっていない。。。

この数日、それに気付かされた。

 

 

どんなに大切な言葉を何度言われたとしても、本当にその言葉の意味を受け取れるのは稀だ。

本人的に、受け取ったと思っている事が殆ど。

 

それが良い悪いではなく、いつ、どれだけ深く受け取るのかはその人次第なんだと思う。

 

 

私は知識沢は山あっても、受け取れてないなとよく感じる。

 

それは、私なんぞは、「解った」と思うと、有頂天になってしまって、謙虚な気持ちを絶対に忘れてしまうタイプだから。

絶対に、を赤字にしてしまうほど自信がある笑

 

 

でも、さすがにもう受け取りたい、受け取ろうと思う。

 

 

受け取れなかった理由として、私も含めて多くの人は、対話しているつもりで、頭で考えているだけなのではないだろうか。

自分の中心から宇宙が産み出されているとしたら、この「対話」こそが最も重要な作業だと改めて思うようになった。

 

「考える」のではなく、身体全体で「感じる」

 

快なのか、不快なのか

明るいのか、暗いのか

軽いのか、重いのか

嬉しいのか、悲しいのか

流れるのか、詰まるのか

暖かいのか、冷たいのか

緩むのか、緊張するのか

溢れているのか、固まっているのか

 

 

一つ一つの微細な「感じ」を、どれだけ捕まえて感じる事が出来るか。

 

私の場合は、本当に真剣に、時間をかけて、自分の中を覗かないと、出来ない作業なんだと気が付いた。

「私の場合は」と書いたのは、60年間私はそれをやって来なかったから。

蓋をして生きてきたから。

 

他の人はもっと軽々と出来るのかもしれない。

 

でもきっと、生きている限り、この作業は終わりのない作業なんだろうな。

 

だってそこから、この現実を生み出しているのだから。

 

 

雨の日の散歩は人がいなくて別世界