継続した子どもたちのとのかかわりのなかで、
島や親の話題を話さないというのは、
ボランティアスタッフの勝手な解釈なのではないか?
という疑問が残りました。
もしかしたら彼らはもっと親のことや島のことを話したいのではないか?
こちらが興味を持って話を聞くことで、彼らにとってもうちょっと頑張ろう!とか、
寂しさを紛らわすことができるのではと思ったのです。
もちろん、子どもによっては思い出すことで寂しさが噴出して混乱してしまうかもしれません。
でも話すことによって力を持つこともできるのです。
とにかく、子どもたちのしたいようにさせてあげればいいという結論に達しました。
話したいと思う子どもの話は興味をもってしっかりと聞く。
話したくなければ、話さなくてもいい・・・
子どもたちのそのままを無条件で受容すること・・・・
それが私たちのできる唯一のことなんだと思いました。
ほとんどの子どもたちが島のことを自慢するように話します。
海がきれい、鳥がたくさんいる・・・島はいいよ~って。
このように野球をしながら、サッカーの休憩時間に彼らはいろいろな話をしてくれました。
私たちはただそこの彼らとただ一緒にいて、話を聞くだけ・・・
でも子どもたちとの関係はどんどん深まっていきました。
相手軸に立つこと。
プロとしては大切なあり方です。
そして無報酬で行うボランティア活動だからこそ、
このあり方がとても大切であること三宅の子どもたちから学びました。
活動に取り組むにも仕事じゃないから、時間のあるときに活動する・・・
急用が入ったからキャンセルする・・・
これでは相手のことを思いやっているとは言えないのではと私は思います。
仕事ではなくボランティアだからこそ、自分がやるという意図をもってやらなければ、
相手に失礼なことなのではないでしょうか?
送られたきた物資の中には、
使いかけのシャンプーや石鹸・・・
古着屋にもないような穴の開いた洋服・・・
それらの洋服はサイズも女性用、男性用かもわからず、
ただダンボールに丸めて入っている・・・
もしも私たちが災害にあって困っているときでも、
そんな誰が使ったかわからない使いかけのシャンプーを使えますか?
穴の開いたサイズの合わない洋服を喜んで着るでしょうか?
相手の気持ちを自分ごとにしたとき、自分の善意は本当に相手のためになっているのかを
考える必要があると思うのです。
洋服はサイズや性別などによって分別をボランティアがします。
ものすごい量の物資が送られてきますから、この分別にはとても時間がかかります。
本当に困っている皆さんの手元に渡るまでにとてつもなく時間がかかってしまいます。
今すぐに必要なのにもかかわらず・・・
ボランティアだからこそ、善意の押し売りにならないよう、
普段以上に相手軸に立つことを意識することが大切なんですね。
近い将来、このときに出会った子どもたちと三宅島で再会することが、
今の私のささやかな願いです。
彼らももう高校生くらいになっています。
たまにTVで知っている顔の子どもをみかけます。
全ての子どもたちが帰島したわけではありません。
そんな子どもたちとも三宅島で再会したいです。
あと数年もすれば、この子どもたちと島酒を酌み交わすこともできますしね。
楽しみ・・・それまで私自身も元気でいないと^^
三宅の小学校の先生方は素晴らしい先生方ばかりでした。
ご自身のプライベートタイムを削って、
私たちと一緒に子どもたちと走り回る先生。
内緒で飲み物などを差し入れてくれる先生。
私たちボランティアチームをカレーパーティーに招待してくれた先生・・・
まだこんなに素晴らしい先生たちがいることを知って、
自分ももっと頑張らなきゃという気持ちになりましたね。
最後に尊敬するジャック・モイヤー先生へ
あなたの死はとてもショックでした。
あなたと自然環境について、それを子どもたちに伝えることの大切さを語り合いたかったです。
いつの日か、あなたがやっていた環境教育のプログラムを、私はライフワークとしてやっていきたいと思っています。
ありがとう・・・親愛なるモイジィ先生