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Gypsy / Fleetwood Mac

ジプシー時代に戻るの

No.540

 フリートウッドマックの1982年のアルバムMirage(ミラージュ)からのシングル。スティーヴィー・ニックス作の曲です。
 ちょっと濁声気味のスティーヴィー、マントのような衣装でターンしながら歌う姿が魅力的でした。

 歌詞の内容ですが、歌い出しの箇所、(*1)

 So I'm back to the velvet underground
  だからアタシは戻ってきたのよ、ビロードのカーペットへ、
 Back to the floor that I love
  私の愛するフロアへ、
 To a room with some lace and paper flowers
  レースとペーパーフラワーに飾られた部屋へ。
 Back to the gypsy that I was
  私のかつてのジプシー時代へ、
 To the gypsy that I was
  戻ってきたのよ。

ここは、彼女が貧しい頃に住んでいたアパートの一室を描写したもののようです。ジプシーのような貧粗な生活時代、殺風景な部屋のベッド(ただマットレスを敷いただけのベッド、だったそうです)を、レースや造花などで飾ってみた、と彼女は語っています。その貧しい頃と言うのは、ギターのリンジー・バッキンガムと同棲していた頃だったようですね。

 でもこの歌を作った頃はもう別れています。もともと、この曲は自分のソロアルバムに入れようと思っていた曲だったのを、自分の女友達が亡くなるという悲しい出来事があり、歌詞を変えてバンドのアルバムに入れたようです。その亡くなった女性には子どもがいて、スティーヴィーはその子を育てようと決めます。歌詞の後半、(*5)

 I still see your bright eyes, bright eyes
  アタシはまだあなたの輝く瞳を見るの
 I have always loved you
  ずっとあなたが好きよ。

この部分は、リンジーへの愛と言うわけではなく、なくなった女性へのオマージュでしょう。自分自身の投影から歌詞の意味合いを転換させていった、とみなすのがいいのかな。

 実生活では、子どもを育てるため、親友の夫と一緒に暮らし再婚する、という驚きの展開を見せましたが、それでは夫婦生活は長続きはしませんよね。結局別れることになりました。

 フリートウッドマックの曲は、どこか実生活とからんでいるような歌詞が多くて、面白いです。

 歌詞はこちら。
http://www.lyricsmode.com/lyrics/f/fleetwood_mac/gypsy.html
 PVはこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=6L85WLhjQ84

リンジーとスティーヴィーがダンスする場面がありますが、まあ割り切って演じたんでしょうね。ちなみに、PVの撮影監督は、2人がかつて付き合っていたことは知らなかったみたいです。

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だからアタシは戻ってきたのよ、ビロードのカーペットへ、(*1)
私の愛するフロアへ、
レースとペーパーフラワーに飾られた部屋へ。
私のかつてのジプシー時代へ、
戻ってきたのよ。

結局、あなたということになるのよ。
そうわかるでしょ、そうなっちゃうの。
稲妻が落ちるの、おそらく、一度か二度、
そして夜を照らすのよ。
そうすると、あなたは自分のジプシーを見ることになるわ。(*3)
あなたのジプシーを見るのよ。

ジプシーに戻って、ちょっとの恐怖心を持った自由と面と向かうの。
アタシは怖くなんかない、愛があるから。
もしあたしが子どもなら、
その子どもって、私が愛するに十分なのよ。(*4)

彼女は私から離れて踊っている。
彼女はほんの願望、
想い出だけがあなたに残されている。
あなたは自分のジプシーを見るのよ。

アタシはまだあなたの輝く瞳を見るの(*5)
ずっとあなたが好きよ。
結局、あなたということになるのよ。


<注釈>
*1 本文記事参照
velvet:ビロード生地  underground:ここでは「敷き物」「カーペット」の意

*2 And it all comes down to you
it comes down to:結局~ということになる  結局行き着く先はあなたの元、ということ。

*3 And you see your gypsy
 あなたはあなたのジプシーを見る、つまり、私もジプシー的な要素を持っていたけど、あなたもよ、ということ。

*4 And if I was a child, and the child was enough
  Enough for me to love, enough to love
ここはつまり、it was enough for me to love the childということで、「私がその子を愛するのはたっぷりだ=しっかりその子を愛するわよ」ということ。仮定法っぽく、私も子どもかもしれないわね、子どもらしくその子も愛するわ、ということかな。

*5 本文記事参照

Translated by hotel_zihuatanejo