15年前。
みなさんのブログでもたくさん書かれていますね





15年前の今日、1月17日は阪神淡路大震災が起こった日

あの日、自宅で寝ていた小学生の私は





早朝、激しく揺らされて目が覚めました


実際には震度3ほどの揺れだったのですが







比較的長めであったことと


夢の中にいたことが余計に恐怖を煽ったんだと思います






気付けば無意識のうちに布団をすっぽり被って丸くなっていました

揺れが収まってもしばらくは布団から出られず

ようやく家族の揃うリビングへ行った私





テレビを点けてびっくりしたのを覚えています。
















つい先週訪れたばかりの神戸

当時小学生だった私には、愛知と兵庫は異国くらいに距離を感じていましたが





実際には車で4時間ほどで行けてしまう距離


あの日テレビで見た光景は、こんなにも近いところの出来事だったのかと
改めて震災の怖さを感じ、
現在の神戸の様子に驚かされたものでした。















あの震災から数年後、
いつだったかは忘れてしまいましたが







たまたまテレビでこんなニュースを見ました

被災者の1人であった女の子が
女性消防士になったというニュースでした



そしてまさに今、偶然にもこんなニュースをやっていました

当時3歳だった女の子。
お父さんを震災で亡くし、その痛みを胸に
日本で唯一防災を専門に学ぶことができる高校に通っているということです
















戦争を知らない子どもたち。
そんな言葉が生まれて何十年経つのでしょうか

いま、神戸の街では人口の1割以上が
震災を知らない子どもたちとなっているそうです。
私も記憶はおぼろげです。
被災者の方々にしかわからない恐怖と悲しみ。
私がニュースで見た女性たちのように
震災が遺したものを胸に秘めつつも
地震の怖さを伝えてく方々が必要になってきているのだと感じます。
東海大地震の危険性も長らく示唆されています。
これを機に、私も自分の防災意識を見つめ直してみようと思います。
最後になりましたが、
震災で亡くなられた方々のご冥福と
被災された方々の心の傷が少しでも癒えていくことを
心よりお祈り申し上げます。
ピーターパン