先週、検盤のつもりで針を落として聞いていたら、いつの間にか眠ったのか、或いはトランス状態に陥っていたのか、自分は小川のせせらぎがそばに流れる草原の中に居たのです。空にはひばりが舞い歌い、草木の間をそよ風が吹き抜けるという典型的に爽やかな情景。その中をどこからかピアノの調べが流れてくるのです。自分はその音楽の元の場所をあちこち探して回ります。そして、気づくのです。自分には手も足も、そして体もないことを。

 はっとして目覚めました。レコードはA面が終わるところでした。大好きなロックを聞いていてもこんな体験はありません。自分は慌ててレコードジャケットを手に取り眺めました。遠藤郁子さん。お名前はちょっと聞いたことがあるかなという程度。しかしここで演奏している楽曲はショパンのノクターン集。どの曲もどこかできいたことのあるものばかり。しかし、どの曲もこの日は新鮮に聴こえるのです。そして、ショパンの良さを生れて始めった知った気がしました。技術よりも何よりも、ショパンが目指していたのは、先ほどの自分が見たような、映像の音楽化だったのではないのか、と。だからショパンのピアノ曲は広く愛されているのか、と。「ノクターン」は夜想曲。ちょっと情景が違うじゃないかとも思いましたが、先入観や予備知識のない自分がそう感受したのだから、それでいいのだとも思いました。この年になって、新たな音楽との接し方をものにしたようで、なんだか嬉しい気分なのです。

 
 さて、遠藤郁子さんについてネット検索してみると意外なことがわかりました。なんと38歳も年上の東京藝大音楽学部長の池内友次郎と結婚しているのです。池内さんは楽典を編集した人で知られ、今でも彼の教え子の音楽家や音楽評論家は数多くいる筈なのです。結婚の顛末もこうです。芸大を中退してヨーロッパでピアノの勉強を続けていた遠藤さんは、帰国後もう一度芸大で学び直そうと池内学部長の元を訪れましたが、そこで何があったか、結局二人は結婚することとなり、それを知った北海道に住む遠藤さんのご両親が激怒。彼女を拉致同様にして連れ帰り、お父さんは刀を磨いて池内さんを殺しに行きかねない勢いだったそうですが、それを遠藤さんは「私のほうが誘惑したのです。」と言って何とか収めたとのことなのです。
 そんなこんなで、これは面白いと池内友次郎のほうも検索かけてみましたが、これが一癖ふた癖もある男で、調べれば調べるほど嫌になって来ますし、せっかくの自分には珍しい綺麗な投稿を汚したくないのでこの辺でやめてしまいましょう。
 結局遠藤さんは乳がんとなったわが身を知り、池内に何も告げずに離婚したとのこと。なんとなく気持ちがわかります。

 しかし癌も完治し今も精力的に演奏を続けている遠藤郁子さん。ショパンともども、これからも追い続けていきたいと思います。もちろん今回のこのLPは永久保存盤となります。

 追伸:このアルバムのレコーディング時、遠藤さんはまだ独身だったようです。