
おおよそ指揮官・上司としてやってはいけないことの全てをやり尽くし、常々「失敗したら腹を切れ」が口癖で、戦病死78,000名を越えるというこれ以上ない大失敗をしておきながら、自身の責任については言い訳に終始し、とうとう自分は腹を切らず、天寿を全うしてしまった“愚ん人(ぐんじん)”である。
上記Wikipediaへ飛んでいけば詳しく掲載されているが、読み進むにつれ、呆れと怒りの渦が次々襲い続けるというエキサイティングな記述内容となっている。最初は長々と書いてあるように思えるだろうけれど、いつの間にか引き込まれていることは必定。
牟田口廉也にとって幸いで、日本人(軍)にとって災いだったことは、彼が時の首相東條英機のめんこだったということだ。
このことが、“愚ん人”たる彼を第一線の指揮に立たせ続けさせてしまうこととなってしまったのだ。
楽観的な予測(「イギリス軍は弱い、必ず退却する」という素晴らしい理論的な考えに立脚。人数や武器の劣勢については精神論を頑なに主張。制空権についてもほとんど考えが及んでいなかったといえるお粗末なもの。)で計画を立て、補給についてもきわめて安直(川幅約600mの大河渡河、標高2000m級の山々の深いジャングルを、重い銃砲・弾薬を持って長距離進撃しなければならない中で、『ジンギスカン作戦』を立案。牛に荷物を運ばせて食糧としても利用しようとしたが、高地の長距離歩行に慣れぬ牛は次々脱落(あたりまえだ)。足手まといになり、結局放棄。ほかの手立てはなく、あっというまに食糧不足となる。)
恐ろしいことに、牟田口廉也は、前線で兵士たちが昼夜の別なく敵と病気に苦しめられている中、自分は午後5時に仕事をあがり、随伴させた料亭で芸者相手に浴衣姿で遊興に耽っていたという超大物ぶりだ。
戦局が悪化し、指揮決断が必要不可欠といえる時、指揮官たる牟田口廉也は神頼みに終始、指揮を放棄していた。
そして、自身の本部が敵の攻撃を受けそうな状況になると、前線の兵士たちを置き去りにして自分だけ退却、しかし前線には退却命令を出さなかった。指揮者としての人格・能力に欠く者が国運を左右する先頭指揮にあたってしまっていたという恐怖。
「馬鹿な大将、敵より怖い」(牟田口廉也は中将止まりであるが、こう謳われたそうだ)。

これもひとえに時の首相東條英機のお気に入りという立場の賜物か。今でいったら国費を湯水のように使ったアソーさん懇意の官僚が天下りで国立高校の校長に就任するようなものだ。こんな人物が若者にナニを教えられるというのか。
牟田口廉也がフツーの人間でないというエピソードがふたつある。ひとつは、死後も自己弁護のチラシを配ったということ。もう一つは、戦後「ジンギスカン屋」を開いたという事実である。尋常の神経を持たない人物だったということが伺える。
牟田口廉也をひもとくと、日本陸軍がいかに自浄能力のない組織だったのかということがわかる。
(今の政治はダイジョブですかぁ~。)
それ以上に自分が不思議でならないのは、牟田口廉也を生かし続けた日本人という存在である。
もし自分がインパールに行った者だったら、あるいは、インパールで身内を殺された者だったら、必ず牟田口廉也を殺しに行っただろう。
中国などでは、必ず責任を取らせて処刑した上、糞尿唾をひっかけるための木像を作り、後世まで国賊として語り継ぐことを忘れないだろう。
しかし、日本人はそれをしなかった。それは、日本人の長所であり、短所でもあるのだろうと思う。

¥500
Amazon.co.jp
真実のインパール―印度ビルマ作戦従軍記/平久保 正男

¥1,890
Amazon.co.jp
太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール (角川文庫)

¥504
Amazon.co.jp