
1976年(日本公開77年) >
「OK牧場の決斗」「荒野の七人」「大脱走」で知られるアクション映画の巨匠といわれたジョン・スタージェスの引退作『鷲は舞いおりた』。
今日まで評価がまっぷたつに別れている作品である。低く評価する人たちの意見は「原作の良さを生かし切れていない」というものと、「スタージェス監督作特有のスケール感に乏しい」というものが主な意見だろうと思う。
私はこれらの意見も頷ける。確かに冒険小説としてベストセラーとなった原作の持つテンポや場景描写、印象的なシーンを盛り込むのが少なすぎたのではないか、という感がある。また、戦争映画では一番の見せ所といえる戦闘シーンがやや控え気味だ。
しかし、ここで反論を言わせて頂くと、原作と違うというのは、映画の世界の中では当たり前のことであって、それでは、原作通りに作ったら本当に面白いのか、というと必ずしもそうではないかも知れないということ。また、その監督は原作に寸分違わず製作した積もりであっても、受け手の我々は別々の個性で感性で原作を読んでいる訳であるから、ツボのズレのようなものは大なり小なり必ずあるもの。とどの詰まりは「原作は原作。映画は映画。」ということだ。
もう一つのスケール感については、これは原作に忠実だったからといえるだろう。そもそも空挺部隊が重機関銃やバズーガを身につけて降下などできる筈が無く、またいくら腕利きのスパイといえども敵地で、しかも限られた時間の中で戦車や装甲車、大砲などを入手することなど至難の業であろう。
自分は原作と多少異なっていても、スケール感がなくても、これは名作だといえる。これは凡百の戦争映画ではない。誇り高き軍人達の物語なのだ(ここで反戦論者がムキにならないこと。ここで詳しく述べることはしないが、誇り高き戦場というものが確かにあった筈なのだ。)。最近のリアリズムに溢れる戦争物には無い、知的で適度にウィットに富んだ会話や行為を楽しめる数少ない映画でもある。
ここでスタイナー大佐役のマイケル・ケインは頑固で部下思いでプライドが高い軍人を好演している。アカデミー賞に多数ノミネートされた『探偵スルース』に勝るとも劣らぬ怪演といえる。
また、IRAのデヴリン役ドナルド・サザーランドもいい。故国独立の為には何でも利用するという剛胆かつ頭脳明晰な人物を独特の雰囲気で演じている。サザーランドは同年ベルナルド・ベルトルッチ監督により公開された『1900年』でイタリアのファシストを好演していたのだが、(映画の中で語られてもいる)シンクロニシティーということを感じてしまう。
そして、全責任を背負って指揮し、死んでいくラドル大佐役のロバート・デュヴァルも忘れられない。デュヴァルは3年後、究極の戦争リアリズム映画ともいえるフランシス・ソード・コッポラ監督作『地獄の黙示録 特別完全版』にキルゴア中佐役で出演しているが、この毛並みの違う二つの映画を見事に演じ分けているのもすごいと思う。
私は'77年公開時、ある種の驚きをもって見終えたのを覚えている。その感情は映画の中味はもとより、第二次大戦の敗戦国ドイツの軍人を尊敬と敬意を持って描かれていたからだ。それは11年前の『バルジ大作戦』 (1965)で描かれたドイツ軍人以上の描かれ方だと感じていた。
そして最近、近所のレンタル・ショップで改めて観る機会を得た。昔得た感動そのままに観ることができた。というか、この種類の戦争物は最近皆無といってよい状況なので新鮮に楽しむことが出来たからなのかも知れない。
ただひとつ、残念なことはある。これがジョン・スタージェスの最終作となってしまったということ。本作製作時はまだ65歳。ちょっと早過ぎる引退だったのではないだろうか。
(写真は劇場公開時のプレスシート)