映画ではないのですが、面白い映像作品なのでここに紹介します。

Glenn Gould 昨今はグレン・グールドのひそかなブームであるらしい。思いがけない映像作品を入手できた。
 『グレン・グールド (EMIクラシック・アーカイヴ)
Glenn Gould The Alchemist』で、1974年フランス国営放送のトロント収録のテレビ・ドキュメンタリー。I) The Retrear II) The Alchemist III) Glenn Gould1974 IV) Bach:Partita No.6 BWV830 の4つの短編で成り立っており、3編はインタビューをふんだんに挿入していて、非常に面白く、そして興味深い。
 特にロックやポピュラー音楽で行われるような細切れでつなげる録音・ミックス手法。或いはジャズ・ピアニストのバド・パウエルばりに唸りながらの演奏にはショックを受ける方もいるのではないだろうか。
 
 1964年3月28日シカゴ・リサイタルを最後に一切のコンサート活動をやめてしまったことは、ビートルズのそれと同様世界的に有名だが、ここではその理由を克明に語っている。その内容を一部転載してみたい。

インタビュアー(以下I)「コンサート活動中止の理由は?」
グールド(以下G)「義務的な回答でいいのかな。それとも本音を聞きたいか?」
I「本音で行こう」
G「All Right! 本音として、私の人生にとっては非常に無駄なことだからだ。
コンサートとは浅薄で非生産的な存在だ。長時間耐えることができないんだ。私はメニューイン(※)みたいな神童じゃなかった。才能はあったが、一方でコンサートでは義務的に演奏していた。
 ある種の神童ではあったよ。バッハのフーガも弾けたんだ。でもパリやハンブルクでそういう曲を弾いたことはない。24歳まで国外ツアーをやらなかったからだ。国内ツアーも20歳以降だ。だから私はコンサートを楽しむ余裕が持てなかったんだ。
 闘牛のような雰囲気が奇妙に思えていたからさ。突然そのことが私の重荷になったんだ。反音楽的な行為に思えたからだ。それで私は決心した。数年間にわたる試みに価値を見いだした。そのチャンスを待ち続けたんだ。」
(※ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916年4月22日~ 1999年3月12日)は アメリカ合衆国出身のユダヤ系ヴァイオリン・ヴィオラ奏者、指揮者、音楽教師。年少の頃は演奏界における神童の象徴的な存在でもあった。)
I「その時にやめようと?」
G「25歳の時、30歳になったらやめようと考えた。実際は32歳でやめたよ。」
I「具体的な理由は何でしょう?」
G「第一に… 」
I「不快感は分かっています。」
G「“不快感”以上の強い理由があるとは思えないね。それが最大の動機になっている。ほかのものは二次的だ。“不快感”が一番合理的だね。
 それが音にも表れることは原稿に書いたこともある。音の印象は他人にも伝わる。
 強制する気はないけどね。コンサートというのは時代遅れなものだと思う。20世紀後半の今だと特にそう感じる。
 私はコンサートに対して不誠実だ。だけど、もし私が薬学の研究者で、新しい薬を作っているとしよう。ノド用の完璧なトローチを作るんだ。
 大した話じゃないよ。トローチは未来でノドは過去だ。効き目があるのさ。
 コンサート活動を休止したのは楽しくないことをやめる方法だ。
 人生に影を落とす“不快感”に話を戻そう。私なりの言葉を使えばこういうことだ。
 底辺だとも言えるし 頂上だとも言えるが、軽蔑的に言えば快楽主義的だ。だから、やめたかった。」
I「聴衆に直接聴かせる必要は?」
G「ないね。実際私が思うのは、広い意味での直接のコミュニケーションだ。録音や撮影だよ。
 モスクワのホールにいても、見えるのは前にいる人の背中だ。息をするのにも気を遣わなきゃいけない。マイクもカメラも使ってないからだ。マイクやカメラは近づくための道具だ。音を確認してバッハは作曲した。
 だが作曲法にも例外はある。ワーグナーは明らかに違うね。建築的なんだ。コンサートの意味は もうない。音楽の表現とか再現の意味でだ。科学的な要素がないんだ。コンサートは生だからさ。魅力的で劇的でもね。
 プライバシーが保たれるのはスタジオの中だけなんだ。」
I「理由の話からズレてきましたが、音楽活動における理由を見いだしたわけですね。」
G「心が望むものを実体化して芸術的な理論を発見したんだ。」
I「少ない聴衆のためにバッハは作曲したと?20世紀の音楽とは状況が違うと思いますけど。」
G「少ない聴衆なのは、その通りだ。私の好きなシェーンベルクの作品を私はたくさん録音した。19世紀の聴衆を意識して作曲されたものだ。それが私がシェーンベルクに対して、その時異国的な印象を持った理由なんだ。
 初期はワーグナー的で中期にいい作品が多い。私が好きなのは12音技法の初期のものだ。ピアノ組曲の作品25が私は気に入っている。
 彼は瀬戸際にいたのさ。19世紀末的な視点が好きだ。ダンスに関わった彼の過去への視点があるんだ。同時に彼には、それに反抗する緊張感もある。小品を書く自分に対してだ。」
[EMIミュージック・ジャパンより発売中。約157分 片面2層]

1 シェーンベルク曲:組曲作品25よりインテルメッツォ 
2 ギボンズ曲:ソールズベリー僕のパヴァーヌ 
3 バード曲:ガイヤルドNo.6 
4 ウェーベルン曲:ピアノのための変奏曲作品27 
5 ベルク曲:ピアノ・ソナタ(単一楽章)作品1 
6 J.S.バッハ曲:パルティータ第6番ホ短調BWV.830 
7 スローモーション映像(白黒・音声なし。)


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