
大学時代角川文庫で沼正三原作の『家畜人ヤプー』を読んでショックを受けた。当初はここまで自虐的でなくともよいのではないか、黄色人種(イエロー)である自分達を貶めなくともよいではないか、とも思った。

(これは太田出版版『家畜人ヤプー〈上 ポーリーンの巻〉』。
賛否両論ありますが奥村靫正さんのイラストが印象的。)
しかし、今も街中で、外国語講師にぶらさがるように付いて回っている輩を見るにつけ、相変わらずパツキンものの洋ピンDVDの人気が高いということを改めて知るにつけ、高校時代位まで白色人種に対する劣等感や極度な憧憬の念を抱いていた自分がかつて持ち合わせていた劣等感を見せ付けられているようで、非常に気恥ずかしくなってしまうとともに、沼正三さんの書き上げたことの正しさとその意義を確信するに至るのだ。
この魅惑的な小説は二度漫画化されている。石森章太郎(&シュガー佐藤)と、江川達也によってである。前者は時代的に考えてかなり先駆的作品で当時としてはかなりの冒険作ということができると思うけれど、表現的にまだまだ遠慮があり、主人公はともかくヤプー達のイメージが魅力的に思えず、自分としては余りストーリーにのめりこむことができなかった。 “原作には遠く及ばない”というのが自分の印象だった。
それでは江川達也版はどうであったかというと、正直これには驚愕した。魅力的な登場人物と精緻な描き方に惚れ込んでしまった。特にヤプー達のイメージ化の見事さには眼を瞠るものがあった。余りに原作に忠実に書き込もうとするが故に、ストーリーが遅々として進まず、いつ終わるのかと心配してしまう程だ。江川達也さんは『源氏物語』でもいつ果てるかわからない精妙な筆致で描きつづけているが、彼の性格的なことなのだろう。
ただ、8巻9巻となってきて、絵の“荒れ”を指摘する人達も多くなってきている。実際、特に9巻ではまったく別の描き方であると言ってよいものだ。しかし、これはマンガ界特有の編集都合による弊害によって起こされたものだと思う。作者が納得の行く書き方をしようと思っていても、締め切りや人気投票などの都合で急かされたり、脅されたりしてしまうのだ。《最近では古屋兎丸さんの例もある。古屋さんはもともと画家を目指していた人で美術教師をしていたということもあり、それこそ「そこまで描かなくても・・・・」と思ってしまうほど緻密な画を描く。しかしそんな古屋さんは初の週刊連載『π(パイ)』の後半で信じられない画風の“荒れ”を見せてしまう。》
それにしてもこの第一部完結はかなり急いた内容であるように思う。江川さんにはこれからも連載なんかしなくてよいからマイペースで書き続け、いつの日か、完全版として分厚い作品を発表して欲しいと願っている。その折には出版社も太っ腹なところを見せて欲しいものだ。
ちなみに現在プロデューサーの康芳夫さんが2010年公開予定で映画化を進めているそうだ。CG技術が進んだ現在、もしかしたらかなりリアルな作品に仕上がるかも知れない。ただ、映倫の横槍が気にかかる。日本の映画の性表現は原作が発表(1956年)されてからそう進歩していないからね。期待しすぎないで待っていよう。
『マンガを紹介したりレビューしたり』のみなさんこんばんは。こちらのテーマへはじめての投稿です。今後ともよろしくお願いします。