8月17日の14時過ぎに
おじいちゃんが他界しました。

だんだんと呼吸が弱くなっていき
最期は眠るように、息を引き取りました。


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あと数時間。

そうわかってからすぐに従弟のおじさんも駆け付けてくれ
12時過ぎからは家族みんなでおじいちゃんを囲み、

昔話などをしつつ、途中で笑いも起こりながら、
終始穏やかな雰囲気でおじいちゃんを見守ることができました。


おじいちゃんが倒れてから、約2か月。

病院通いが続いたり、お家に引き取って家族みんなで介護をしたりと
初めての体験の連続で戸惑いがつきなかったものの、

「よかったなぁ~」っていう充実感で、いまは満たされています^^


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ほかの家族も、2か月間でこころの準備ができたようで、
みんな落ち着いて過ごせています。

意見の食い違いなどがあったりもしたけれど、家族がチームとなって
おじいちゃんの介護にあたることができたことで、これまでなかった
絆みたいなものが、それぞれの心に確実に芽生えたと思います。

だからこそ、葬儀などでバタバタしている両親を
サポートしていこうって思います^^


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さいごに。
あたしがおじいちゃんに最後に伝えた言葉を、のせますね。



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おじいちゃんへ。


生まれてきてくれて、ありがとう。
戦争を生き抜いてくれて、ありがとう。
おばあちゃんと出逢い結婚してくれて、ありがとう。

そのおかげで、お父さんを生んでくれたんだもんね。


お父さんを、育ててくれてありがとう。
愛してくれて、信じてくれて、ありがとう。

そのおかげて、おとうさんはおかあさんと出逢い
結婚ができたんだもんね。

だからこそ、あたしやお兄ちゃん
弟がいまここにいられるんだもんね。


あたしがまだ小さかった頃。

紙芝居を読んでくれて、手品をしてくれて、ありがとう。
自転車で土手に連れて行ってくれてありがとう。
おじいちゃんの大きな背中は、まだはっきりと覚えています。


中学、高校では、おじいちゃんに反抗しちゃって、ごめんねぇ。
いっぱいひどいことをいって、傷つけちゃったと思うけど
いつも変わらずに、あたしたちのためにお祈りをしてくれてありがとう。


もう一度、仲良くなったのは2年前かな?
あたしがハワイから帰ってきた後、お料理の道に進みたいと
お菓子を作っては、失敗しちゃってたものだけど、
毎回おじいちゃんは「美味しい」って食べてくれて、うれしかったよ。

おじいちゃんは少しづつぼけていったけど
昔のことははっきりと覚えていて、
よく、東京がどんな風に成長していったか、
お話しをきかせてくれたよね。

そういう昔話が、あたしは大好きでした。

よく「やすの結婚はまだかぁ?」って聞いてきたおじいちゃん。
花嫁姿を見せることができなくて、ごめんなさい。

けど、素敵な旦那さんと、おじいちゃんとおばあちゃんのような
温かな家庭を築くから、安心して天国でみまもっていてね。

そうしてお料理人としても、しっかり自立して生きていこうと思うので、
天国から、どうか応援していてください。


90年間、お疲れ様。
あたしは、おじいちゃんの孫に生まれて幸せでした。

おばあちゃんと幸せな再会をはたしてね^^


やすのより。



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おじいちゃん、ありがとう。