これは昨年12月にコロナになった時のお話です。

現在は療養期間も明け、元気に過ごしています。




上の子の頭痛で思い出したことは、10月頭ごろに一度、学校から発熱(38.8)でお迎えに来てほしいということがあったんです。

その時も、病院でコロナの検査しました。

結果は  陰性  でした。


家に帰り、寝かせようとすると頭痛がすると言っていました。病院から解熱鎮痛剤をいただいた薬を飲んでもらい休んでもらいました。

その発熱も夜は39度を超す状態でしたが、翌朝には、すっかり下がり頭痛もなくなり、翌朝普通に登校し、その一日以降発熱もなく過ごしていて、なんだったのだろうと言うことがありました。


上の子のコロナ陰性を受けて、頭痛もあるとのことで、そのことを思い出したのです。


なので、また急によくわからないけれど起きた発熱??なのか??とも思いました。

ただ、次の日の朝すっきりととはいかず、37.6ぐいでしたが、午後になるに向かってどんどん体温は36度台になり、そこから上がることはありませんでした。


でも、ここで終わらないのが我が家!!


この日の夜に上の子熱はもう無いのですが、喉が痛い・・・と言っていると旦那から聞きました。


なんで今〜!!(心の声)


どのぐらい痛いか聞いてみると、かなり痛みがあるとのことらしいのです。


やっぱり、こないだの発熱・・陰性ってでだけど、ちがったのか?!



ひーん笑い泣き

やっぱり、コロナ??

あかちゃんと私だけで部屋隔離しているけど、無理なもの??接触してないのにぃぃ。



濃厚接触者としての待機期間も3日目。

本来なら、後2日で・・解除だけれども、伸びるのかぁー。



[このまま病院に行かなければ、後2日で待機期間あけるよな。]


と、思ってしまったことも事実です。ただ、本人はとてもしんどいということなので、我慢させるという選択肢はなかったです。

やっぱり、病院で薬をもらって少しでも辛い症状をとってあげたいと思いました。


ということで、又旦那と上の子は、中1日で病院に向かいました。


これは、夏のコロナになった時のお話です



産院に電話すると、心配してくださり、どうにか出来ないかと奔走してくださりましたが、やはり、濃厚接触者という状況があり、産院で診てもらうことは叶わず、先程電話したところとは、違うサポートセンターの番号を教えていただきました。


すぐにそこに電話して、そこは、看護師さんに電話を代わってもらい、症状を伝えると、


看護師さん

「緊急を要するかもしれない、救急要請をした方がいいと思います。絶対ではないが、様子見してほしくない」


ということで、救急要請をすることにしました。


人生で救急車を呼ぶ日が来ようとは。。


赤ちゃんはそんなに悪いのか、助けられるのか

と不安と焦りと恐怖でしかなく、旦那に救急要請の電話をお願いしました。


が、旦那も不安と焦りと恐怖とパニックだったのでしょうか?


119にかけると、瞬時に


救急

「火事ですか?救急ですか?」


旦那

「あっ、えっとー」


「救急です。」



救急

「どうされましたか?」


旦那

「えっと、あかちゃんが吐いて・・」


「現在、兄弟にコロナ陽性者がいて、濃厚接触者である赤ちゃんの体調が悪い。産院で教えてもらった電話にかけて、症状(この時も事細かに症状を伝えています)を伝えたら、救急要請した方がいいかもしれないとのことでかけました」



救急

「わかりました。住所お願いします」


旦那

「えっとー、〇〇・・えっと・・・」


「〇〇の〇〇-〇〇です」


救急

「わかりました。もう向かっていますので、すぐに着きます。安心してください」



この会話が終わる前には、サイレンの音が聞こえてきました。




この、救急要請時、結局私が全て答えてしまいました・・・私は、赤ちゃんのことでパニックになるだろうから、旦那にお願いしたけど、意外にも本当になんとかしなくちゃと思うと、冷静なんだと新しい自分を見た気もしましたし、旦那はいつも冷静に見えていたので、こういう時も頼れると思っていたのが、おお??意外とそうでもない・・ということも知りました。(うん。ちょっと知りたくなかったです。なんか、ほんと勝手にこっちが思ってただけだから仕方ないけど、ちょっと情けなく感じてしまい、私がしっかりしなくちゃと思ってしまいました・・なんか、かなしっ)



サイレンの音が聞こえてきたと思ったら、玄関がガチャガチャと、救急要請した際は玄関鍵開けていた方がいいのかと学びましたー。


すぐに防護服に身を包んだ救急隊の方が入ってきて、必要なものを準備して、私と赤ちゃんは救急車に乗り込みました。


あかちゃんの話は長くなりそうです。






 




これは、夏にコロナになった時のお話です。

冬にコロナになったことも同時に書いているので読みにくいかもですが、自分の記録として残しておきたいと思って書くことにしました。


救急隊の方が来て、すぐに私と赤ちゃんは救急車に乗り込みました。

そして、救急隊の方が赤ちゃんの状態を確認して、私に色々と症状等の確認。そうしているうちに、他の方が受け入れてくれる病院を探して連絡を取ってくださいます。


ただ、あかちゃん、コロナの濃厚接触者、お盆
コロナ第七波のピーク時という、まぁ重なりに重なって、受け入れてくれる病院が見つかりません。

ひとつ受け入れ可能と言ってくれた小児専門の総合病院は、

『他にも受け入れ可能な病院を探してほしい。
どうしてもダメなら、うちで受け入れます』


ということで、更に他の病院にも電話をかけてくださっていましたが、濃厚接触者であるということで、断られてしまいました。

その間、他の救急隊員の方が、これまでの症状の経過や今の状態をゆっくり聞いてくださり、又赤ちゃんの状態の確認等をしてくれました。


そして、なかなか搬送先が見つからない状態の際は、こちらの不安を取り除くように話しかけてくださったので、私自身が落ち着いて待つことができたのだと感謝しています。

生まれて初めて救急車を呼んだので、知らないことだらけでした。

すぐに来てくださった救急車ですが、搬送先が決まらないと、決まるまで自宅前でずっと赤色灯グルグルしたまま待機になることすら、今回のことで知ったほどです(まぁ、普通に考えたら、搬送先ないのに走り出せない・・けど、今ではそんなことすら考えたことすらありませんでした)

そして、これはコロナ陽性者の方や濃厚接触者の方は、搬送先から帰る方法を考えなくてはいけないということです。
今回もしも赤ちゃんは入院になっても、私は帰らなければないこともあるということ。
そして、濃厚接触者なので、タクシーには乗れない、搬送先がどれほど遠くなるかもわからない。
そうです。基本的に同じ居住者の家族が車で迎えに行くしか方法がないのです。
ここで、また問題が・・旦那が迎えに来てもらうと言うことは、コロナ陽性の上の2人をどうするのか??
基本的に家からは出してはいけない。でも、こんな真夜中に体調がやっと回復傾向にある2人を置いて、どのぐらい遠くなるかわからない、搬送先に迎えに来てもらうこともできない。。。

ばぁばに車で家に来てもらって、ばぁばは、我が家の駐車場で待機しててもらう?と考えましたが、子供たちに何かあった時、コロナがうつる覚悟が必要だし、そこでうつってしまって、高齢のため最悪の事態にならないとも限らない。
更に、既に上の子2人は眠っている。。目が覚めて母も父もいないとわかったら、ばぁばが駐車場にいると置き手紙をしてもパニックになるのでは・・
と現実的ではないと思いました。

続きます。