今日は、ペット東洋医学セミナーでした。

みんな真剣にメモを取り、1匹でも動物を助けるべく、授業を聞き逃すまいとメモメモ。

(みんななんて、ナイスガイ!オイラ、感動~~~泣)


そんな授業のはじめにフードについての獣医師(先生)の考えが。。。

オイラ、思い切り、ガックシ。(しかし、人は自由意志を持っている。誰も悪いわけじゃない。)


オイラの食事に関する意見を皆さんに言いたかったのですが

時間が押せ押せで、数秒しか時間がなく。。。


私は先生を尊敬してますが、断固、ペットフード良質論には反対です。

ヒトコト、受講生の皆さんに、私の思いを伝えたかったのですが

授業時間が無くなったので、ブログにて書かせて頂きます。


食の在り方は、

その人(飼い主)の生き方そのものの現れです。


そのものらしく生き生きと「生」を全うさせたいと、

己にも、また、他生命にもおもっているか、の反映です。


つまり

生命を尊重しているのか。ということです。


あの消化管、キバを見れば、どのように生きるべく個体か判るはずです。


愛玩というなぐさめの対象として飼っているのか、

生命を尊重し、対等な魂どおしのつきあい、と思って共に暮らしているのか。


自分についてはどうか。

自己を尊重し、魂の乗り物(カラダ)をいたわり

どのように自分、を活かし、生き続けるのか・・・


本来の自己を、生きている間、表現することなく、

ただ生きることのみに目標を置いているのか。


惰性で生きることを選択しているのか

命、というものに、奇跡、尊厳を見ているのか。


それによって、自己の乗り物である肉体をいたわるのか、他者の肉体(乗り物)もいたわるのか

そこの意識の差が

与える食事の差になると、

勝手におもっています。

その反映が食に現れると思っています。(自分の意見として言っています。)


生きるということは「食べる」ということ。


そのカラダは、そのフードが作っているということ。

その思考は、そのフードが支えているということ。


命とは

生きるとは・・・。

各々が生きるということについて、他生命を守るということについて

じっくり考える時間を持ってほしい。


何かを成し遂げたいと思い生きているなら、

おのずと、その生き方にあった食事を選択するもの。



生きることは、食べること。

食の質こそが、生命力である。


長寿でさえあればロボットでもいいのか。

そのものの、その種としての生き方を尊重しないのか。


そういうことを自分なりに考えるのが、自然療法に携わる人間。


フードについて、あらゆる角度(栄養面、スピリチュアル的面)で調べ、

知った上で

自分は何を選択するか、なぜ選択するか、

それは本当に自由。

調べ、思考して、自分の判断、生き方と照らし合わせ、決めるのが良い決め方。