年末にお誕生日が来る私は 65歳で退職した
年金の受給と共に紹介状を持ってがんセンターを受診した
既に その時点で 数年前にも訪れ初期乳ガンと診断されたが 様々な事情により治療を放棄していた
決して乳ガンを甘く見ていたわけではなかったが
私にとっては仕方のない事で、今こうなる事も予想はついていた
予想がついていたといえば 何の予兆も体感としてなかったが もしや乳ガンかも?という予感があり ちょうどその時 市からの無料健康診断のハガキが届き 受けに行った
市の乳ガン検診のドクターはとても丁寧に診察してくれて 怪しいと確信しているようだった
驚くほどすぐに要精密検査と紹介状が届いた
紹介状を持って がんセンターを受診した
予想はしていたので 動揺はなかった
母方の祖母や 知り合いに何人か乳ガンの手術治療をされた方がいたので とうとう私もか!というくらいな感じだった
それよりも 今後の生活をどう片付け整理するかが最大の心配だった
シングルマザーで2人の息子は大学を出て 長男は結婚寸前、次男も割と好きな仕事に就いてはいた
そろそろ母も 独り暮らしは厳しくなる頃だった
私は 既に10年働いた歯科医院を退職し 別の医院で忙しく働いていた かなりの激務だった
4匹の可愛い愛犬たちが 唯一の癒しだった
しかし私は その時治療を放棄する事を選択し決断した
そして、いずれこうなる事さえ予測していた事だった
初期乳ガンと診断されてから数年経ち すでに体感で分かるほど 乳ガンは進行していた
最期に 勤めた歯科医院の院長は 頑固ジジイではあったが これまでで1番 腕の良いリスペクトするドクターであった事が 長い歯科衛生士を職としてき嬉しく思える事だった
私は 体調不良という事で 3ヶ月前に退職を伝え 年末までなんとか勤め終えた
年明けなるべく直ぐに がんセンターに受診したく 紹介状を得るため 病院を探したがなかなか見つからず やっと見つけた病院で 1ヶ月以上先にようやく予約が取れた
その時の女医さんは 即座に紹介状を用意して下さり 本当に感謝している
私は 紹介状を受け取り そのまま 近くで電話ができる静かな場所を探し 直ぐにがんセンターに受診の予約をした
診察券は持っていた
予約を取る際、数年前 初診の際とは別のドクターが良いかと聞かれ 同じ先生にお願いしたいと伝えた
それから帰宅した
ほっとした気持ちだった
その頃の私の体調は その年の初めより 右胸の形がごつごつと変化してきて 春には左胸にくっつきそうなくらいになっていた
いよいよ排膿が始まり 下着を汚すので ナプキンや犬のペットシーツを巻いて凌いだ
全く痛みはなかったが
夏には 歩くのも息が切れるようになっていた
帰宅途中 乗り換え電車の遅延が頻繁に続き タクシー乗り場に長蛇の列 仕方なく
徒歩で帰宅を止まなくする事が多かった
電車で数分だが 歩くと50分きつかった
家に帰ると倒れ込むほどだった
連日続く事も珍しく無かった
大嫌いな暑い夏がやっと過ぎ ますます体調は悪化していた
やがて 短い秋が過ぎ 冬になった
お風呂に入ると 身体が温まり乳ガンでごつごつと岩のように膨らんだ胸の数箇所から 赤い細い糸が弧を描くように出血するようになっていた
ピューッと!
初めてそれを確認した時は とうとうここまできたかと 変な覚悟が芽生えた
胸からの出血を見るより その後 お風呂場を掃除する度に なんとも言えない気持ちになった
一滴も赤いものを残さないように
寝床に入る 部屋は暖かく寝具も充分なのに しばらくすると身体が冷えて目が覚める
温かいものを飲んてみる 電気敷きマットや湯たんぽを使っても
寒い 寒くてとても眠りにつけない
芯から身体が冷える
湯船で体を温めたくなる
夜中に 浴槽に湯を張り また湯船に浸かる
身体が温まると胸からの出血
そんな毎日が続くようになった
それでも 昼間のうちは胸の痛みは全くなかったが 排膿から臭いがするようになっていた
そして 毎晩足がつるのが本当に辛かった
立ち上がり足踏みして収まったかと思うと またつって 30分以上も奮闘するのがキツかった
それから時々 寝ていて 急に胃が痛み 私の叫び声で 別の部屋で寝ていた次男も救急車呼ぶ?と起きてきたが そのまま入院になるのは必須と耐え 鎮痛剤で気を失うように眠った
その頃 次男も 持病が発覚しそれに伴い社用車で事故り手術やら 転職でトラブルが続き メンタルも落ちていたところで その事も心配の種だった
それからも毎日続く お風呂に入る度の出血で
貧血が進み体温が保たれず 息切れで5メートルも歩けず 車道を渡るのにも慎重にしていた
自宅から駅までは徒歩7分 緩やかな坂道
何度も立ち止まり バス停の柵につかまり体を支えていると 私より遥かにご高齢の方に 大丈夫?と声をかけられる事もあった
自分で思っているより 弱々しく見えたのだろう
ショックに思えず
そうかと思うと辛くも 可笑しくヤバイと 笑笑
それほど 体力がなくなった身体でも 仕事は普通にこなせた 職業意識とでもいうのか
それほど辛さも感じず 仕事はこなせた
まぁ あたこちに寄りかかりながらではあったが
笑笑
そして 退職
もう何もかも 覚悟の上 待ちに待ったがんセンター受診日 覚悟はできている
駅からのシャトルバスは定員オーバーで乗れず
20分後の次の便を待つ
走ってる転んで 血だらけになるがそんな事 おかまいなしな心境だった
普通じゃない 笑笑
ようやく診察 先ずは血液検査の結果
車椅子で処置室へ そして即入院を促される
愛犬たちが心配だったが そんなどころではない
とにかく次男に 知らせた
個室に通され ベッドからほんの数歩にあるトイレまで1人で歩いてはダメ 車椅子でと指示
トイレの度に ナースコールも気が引けるが
病室の扉は開放されたまま 30分置きにくらいに様子を見にきてくれた
その日から何度か輸血をした
輸血をすると それまでのグッタリな様子が恥ずかしく思えるほど 元気バリバリになる
様々な検査を終え 胸からの排膿に新生児用のオムツをテープで漏れないよう付け その上から腹巻きをカットして ずれないように腕を通せるように着るのを ナースマンさんが丁寧にレクチャーしてくれた
そして、主治医からの診断は
右胸乳ガンステージ4
サブタイプは HER2陽性 E R陽性
それから 高血圧 糖尿病 両足の付け根に血栓ができています
糖尿病に関しては センター内にある循環器に受診し お薬を処方されました
血栓は 花咲乳ガンで出血があるのでそれを溶かす処置もお薬も使えません
もし 急に息苦しくなったり 胸の痛みがあったら救急車を呼ぶ事
予防のため着圧靴下を24時間履いて過ごして下さいと
すでに 入院中に 医療用アンシルクを用意され履いていました
デラックス マツコの履いてるやつです
乳ガンに関しては
手術はできません 完治はしません
QOLを保ちながら寿命を伸ばすことが治療の目的です と伝えられました
そして 次回 数日後より通院での抗がん剤治療を始めましょうとなりました
その時の入院期間は 5泊6日でした
闘病2へつづく